衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。
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手塚の独り言

2008年7月10日

国益(経済)より地球益(環境)を議論する必要があった洞爺湖サミットが閉幕。温室効果ガス主要排出国が揃って数値目標の入った約束をできなかったのは残念ですが、主要国が「野心的な中期の国別総量目標」を掲げると明言したことと、中国やインドなどの新興国にも責任の一端を担わせる提案があったことは前進といえるでしょう。福田総理、お疲れさまでした。これでいつ幕を引いて頂いても結構です。昨晩の同じ頃、私の国政復帰を目指し設立して頂いた「夜明け実現委員会」の夕食会も開催されていました。着席の会としては、会場の運営上限界だと思われる約250名の皆様にご参集頂きました。総選挙に向け共々に「Yes,We can!」と気勢を挙げ閉会。長妻昭、馬淵澄夫、蓮舫のゲスト3氏はもとより、目黒・世田谷の議員仲間や、後援会の皆様に心から感謝申し上げます。14:45

2008年7月8日

手塚事務所も大忙しです。もちろん洞爺湖サミットがその理由ではありません。私の国政復帰を期待し設立して頂いた「夜明け実現委員会」の夕食会が、明日の夕刻目黒雅叙園で開催され、その準備に忙殺されています。いわゆる政治家の政治資金パーティのように、立食バイキングで会費2万円というものとは違い、20卓以上の円卓に着席し、和気あいあいの夕食会を目指していますから、出欠確認や座席指定、当日の式次第やメディア対応など、仕事は遅くてもそれなりに有能なスタッフがバタバタと準備を進めてくれているのです。明日のゲストは、長妻昭、馬淵澄夫、蓮舫の豪華3氏。民主党が誇る引っ張りだこの人気者で、最も敵に回したくない3氏がトークショーを展開してくれます。また、明後日に会の様子を報告致しますので、乞うご期待。15:00

2008年7月6日

明日からサミット(主要国首脳会議)が洞爺湖で始まります。主な議題は地球温暖化対策や原油・食料価格高騰問題など。特に温暖化対策については、2050年までに世界全体の温室効果ガスを半減させるとの長期目標設定を「真剣に検討する」とした昨年の合意をどこまで前進させられるかが焦点で、外交が得意だとされる福田総理の指導力に注目が集まります。東京以外で開催されるサミットは、2000年の沖縄以来2度目のこと。学生時代に訪れた沖縄で、先の大戦で受けた沖縄県民の苦悩を痛感し、自ら総理として指導力を発揮できる立場となって、沖縄でのサミットを敢行した故小渕恵三元総理。沖縄に銅像が建立され、今も県民から愛されています。福田総理にとっては花道、限りある地球環境にとって大きな転換点となるサミットを期待しましょう。それにしても暑い。梅雨明け? 13:30

2008年7月3日

私が敬愛する野田佳彦代議士を中心とする「花斉会」の夏季研修会に参加して来ました。現職のみならず、私のような浪人生や、民主党の新人候補予定者ら約35名が結集。民主党にも派閥はあるの?と時より質問を受けることがありますが、派閥といえばイメージが悪く、政策集団というと幾分印象も変わるはず。問題は組織の在り方であって、自民党的にボスが盆暮れにお金を配るような体質ではありません。むしろ、問題意識を共有し、将来は野田さんを総理にしたいと願う民主党の仲間たちで、大学のサークルに近い組織かもしれません。今回の研修会では、野田さんを中心にまとめあげた「ニッポンまる洗い」構想が示されると共に、それぞれの選挙環境を話し合い、たっぷり刺激を受けて来ました。仲間に恵まれることは政治家として本当に大きな財産だと実感する2日間でした。15:00

2008年7月1日

今年の後半戦の最初の日にモンゴルから嬉しいニュースが飛び込んで来ました。モンゴル人力士のさきがけとして大相撲で活躍した旭鷲山が、母国の国会議員の選挙でトップ当選。さすがモンゴルの英雄です。最大野党の民主党に所属というのも親近感を覚えます。もう今から3年以上前ですが、私の公設秘書を務めてくれていた松田哲也目黒区議のPL学園時代の親友が、関取が所属していた大島部屋の谷町をしていて、私も大阪場所を桟敷席で観戦した後、部屋に招待して頂き、一緒にちゃんこを囲みました。そのご縁で、去年の断髪式でも国技館の土俵の上で髷に鋏を入れさせて頂いたのです。いつの日か、民主党の国会議員同士として外交の場面で再会できるのも夢ではなさそうですね。本名はダバー・バトバヤルさん。これを覚えるのには一苦労しそうですが(笑)。18:30

2008年6月30日

1日も早い国政復帰を願う浪人生にとって、月日の経過は緩やかに感じるものですが、明日で今年も半分が終わります。海の向こうからは、胸を踊らすオバマ旋風。たぐい稀な演説力は11月の大統領選に向けて期待も膨らむばかり。周辺の一番の変化は、やはりライバルとなる東京5区の候補者の決定でしょう。党幹部の応援やメディアの取材が相次ぎ、私のみならず事務所もだいぶ慌ただしくなりました。ねじれ国会は、ガソリン税や後期高齢者医療制度など与野党激しい攻防が続き、有権者の関心の高まりと、政権交代への期待を手応えとして感じる日々でした。個人的には、去年から続く減量と体力アップにも成功し、闘志が益々みなぎります。そして何より、日々成長してくれる息子の姿に目を細める毎日ですが、実りの秋を迎えるべく、下半期もガンガン行きたいと思ってます。7:25

2008年6月27日

昨日、期限から約半年遅れで、北朝鮮が6者協議の合意で義務付けられていた「核計画の申告」を議長国の中国に提出。一方、アメリカはその見返りの形で、「テロ支援国家」指定の解除に向けて動きだしました。過去の経緯からもこの申告がどこまで信用できるのか、拉致問題を置き去りにしないというブッシュ大統領の声明に本当に意味があるのかなど、いくつかの不安は残りますが、朝鮮半島の非核化に向け6者協議が再可動したことは歓迎したいと思います。ただ、日本外交が蚊帳の外と感じたのは私だけではないでしょう。政権の任期切れが近づくと、外交が動きだすのはよくあること。ただ、ブッシュ政権のみならず、福田政権も末期と見られているのでしょうか。笑える話ではありませんが…。14:25

2008年6月25日

20世紀最後の夏、2000年6月25日。8年前の今日は、私が衆議院議員に初当選した生涯忘れ得ぬ記念日。光陰矢の如しですが、当時のことが走馬灯のように蘇ります。春先に小渕恵三総理が病に倒れ、自民党の5人組と呼ばれた面々が密室で森喜朗氏を後継総理に。森政権発足後、いわゆる「神の国」発言があり、その直後に国会解散。選挙期間中にも「無党派層は寝ていてくれればいい」発言も飛び出し、民主党はたっぷり追い風を受けました。しかし、私の相手は直前に文部大臣を歴任した自民党の大ベテラン。世論調査では後塵を拝していましたが、投票日の出口調査で大逆転。涙の初当選の感激が今もはっきりと蘇ります。あれから再選も落選もあった悲喜交々の8年。ここは、公正な社会を築くべく、これからの8年に志を抱き、初心を忘れず引き続きコツコツと頑張ります。11:20

2008年6月23日

先週末で通常国会が閉幕。昨秋の臨時国会が異例の越年となり、数日だけおいての召集でしたから、現職の国会議員にすれば約9ヵ月に及ぶロングランの国会がようやく終わったとの印象でしょう。誰が名付けたのか、衆参で与野党の第1党が異なる「ねじれ国会」は、与野党の攻防が例年以上に激しくなりました。ガソリン税の暫定税率を期限切れで撤廃できたかと思えば、衆院での3分の2を使って再可決、再増税。その手法が使えない人事案では、政府が何度も右往左往。少なくともこれまでのように、時には強行採決を繰り出しつつも、政府・与党及び霞が関の思惑通りに日程が運ばなくなったことだけは確かです。紆余曲折がありましたが、未来から振り返れば、民主党にとっての政権担当準備国会だったのではと思えてなりません。ここは休む間もなく攻勢あるのみです。13:15

2008年6月20日

永田町の秀和TBRビルが老朽化のため取り壊される計画が進んでいるとの報道を耳にしました。政界では誰もが知ってるこのビルは、自民党旧竹下派の幹部が個人事務所を構え、政局の中心舞台となったこともしばしば。実は私自身もこのビルとは縁があり、大学3年から5年で卒業するまでの間、このビルの8階に事務所を構えていた「自由社会フォーラム」という国会議員約20名で構成するシンクタンクで勉強をさせてもらっていたのです。ビルを出てすぐ目の前の坂を登ると右に衆院第1議員会館、左に第2議員会館。正面にそびえるのが国会議事堂。各議員の事務所に小間使いで行く度に、何度も国会へと続く坂を往復しました。まさに私の「坂の上の雲」の出発点なのです。少々大袈裟ですが、母校が廃校になるようなノスタルジーを感じています。14:55

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