衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。
手塚の独り言
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2005年1月30日

「日経新聞朝刊に手塚君のコメントが出てるよ」との同僚議員からのメールで起こされ、午前中から二日酔いのまま、今日告示された西東京市長選の応援へ。とんぼ返りで世田谷に戻り、関口太一世田谷区議と共に用賀地域でのタウンミーティング。そんな慌ただしい日曜でも、1月30日は私にとって特別な日なのです。物心がついて初めて尊敬の念を抱いた母方の祖父(今は養子縁組したことで戸籍上は父)の、今日は20回目の命日です。祖父の存在がなければ、政治の道を志すこともなかったと思いますし、今もなお人生の目標でもあります。日本列島にはこの冬一番の寒波とか。明日も寒さに負けず頑張ります。21:10

2005年1月29日

今夜、中目黒のGTホールにて多くの後援者にお集まり頂き、伊藤悠目黒区議と関口太一世田谷区議の共同の新春の集いが開催されました。この夏の都議選に、区議1期目途中で、しかも28〜29歳の若さで挑戦することになった二人の、いわば総決起集会の趣きでした。今週本会議場を大いににぎわせた、小宮山洋子、野田佳彦両代議士をはじめ、蓮舫さん、青木英二目黒区長、さらにはダイナシティの中山諭社長にも応援に駆け付けて頂きました。12年前、私が初めて都議選に挑戦した時のことを思い出すと、何とも恵まれた二人だなぁと思いますが、感謝の気持ちを胸に刻んで、7月まで全力疾走で頑張ってもらいたいと思います。23:10

2005年1月28日

昨日から衆院予算委員会での審議が続いています。委員会の性質上、小泉総理の政治姿勢や政治とカネの問題などについても激しい論戦となっていますが、この審議を経て、本日の夕刻には2004年度の補正予算の採決が行なわれる予定です。この補正予算は、主に新潟中越地震などの災害復旧対策費であり、与党は当然のこと、我が民主党や社民・共産両党も賛成する方針で、全会一致での成立となれば、阪神大震災の復興費用を盛り込んだ1994年度の補正予算以来とのこと。与野党の対立を超えた、新潟中越地方の復興支援にご理解を頂きたいと思います。10:55

2005年1月26日

今日は論戦の場を参議院に移しての代表質問。つまり、衆院議員にとっては緩やかな国会日程のはずなのですが、こうした日程を見越して党関係の会議が立て続けに予定されていて、息つく暇もありませんでした。東京都連の常任幹事会では新たな都議候補の公認決定もなされ、これで合計41人に。さらには、岡田克也代表を本部長として、国政統一補選・東京都議選選対本部が発足し、今日はその第1回目の会合。私も事務局次長として、都議選の候補者擁立状況を報告させてもらいました。また、本日正式に東京都選挙管理委員会から6/24告示、7/3投票との選挙日程も発表されました。夏の首都決戦への準備も着々と進んでいます。19:00

2005年1月25日

昨日から代表質問が始まり、民主党からは岡田克也代表が登壇。総理の相変わらずの官僚答弁棒読みに対し、岡田代表が再質問をすると、今度は「すでに答弁してる」と開き直り、議場は紛糾。一時民主党が退席するという展開になりましたが、議長から総理が注意を受ける形で質問再開。いやはや不誠実の極みです。本日は小宮山洋子さんに続き、敬愛する野田佳彦氏の登場です。経済・財政問題を中心に、原稿を持たずに堂々の論陣を張るとのこと。党内最強弁士は、決して揺るがない信念で党内若手からの信望もナンバー1。不肖手塚が命をかけて総理にしたい男の晴舞台。今日こそ小泉総理を完全にKOしてくれることでしょう。是非、ご注目下さい。9:45

2005年1月24日

今日は手塚事務所の責任者で、日頃から地元を守ってくれている松田哲也君の誕生日。それだけではこの独り言のネタにはなりませんが、今日は特別なのです。彼とは早大雄弁会の同期で、松田君が幹事長、私が彼を補佐する副幹事長を務めていました。4年前に少々無理を言って、今度は私が政治活動を松田君に補佐してもらうことに。ただ同期とはいっても、付属高校出身の私は現役入学ですが、松田君は2年の浪人を経験しています。すなわち、私より2歳年上の同期生の彼が、本日めでたくも40歳になり、不惑の世界に突入したのです。さて、おめでとうと言っていいのでしょうか。何はともあれ、今日から国会では各党の代表質問が始まります。9:20

2005年1月22日

墨田区で区議を務めていた堺井裕貴さん。昨年末に議員辞職をし、党でも珍しいケースなのですが、郷里の大阪に戻り衆院選に挑むことになったのです。東京を離れ新たな挑戦をするにあたっての心残りは、二人三脚で活動してくれていた女性秘書の処遇。大阪に連れて行くことも出来ず、親交のあった私に相談をされたのでしょう。こちら側は、大学に通いながら議員会館で働いてくれている2人の女性スタッフが卒業控えた時期で、まさに渡りに船。こんな経緯で、議員会館の新しい女性秘書が誕生することになったのです。名和久美子さん。24歳とは思えないしっかり者で、即戦力として頑張ってくれています。以後、お見知りおきのほどお願い致します。16:55

2005年1月21日

本日から第162通常国会が召集されます。会期は150日間で、2005年度予算案をはじめ、小泉総理が特別な思い入れを示す郵政民営化法案、イラクへの自衛隊派遣、政治とカネな問題などが当面の焦点となります。福岡と宮城で行なわれる4月の衆院統一補選、あるいは私自身も先頭に立って戦うことになる夏の都議選をにらんで、序盤から与野党の激しい攻防も予想されています。今日は午後から、総理の施政方針演説など政府4演説が行なわれます。また、スマトラ沖大地震と津波被害に関連し、被災国の早期復興に努める決議を全会一致で採択することになります。名実ともに、これで2005年の幕開け。全力疾走で頑張りますので、ご注目下さい。11:00

2005年1月19日

今日も故趙紫陽氏についてです。1989年、天安門広場でハンストを続ける学生たちを見舞った趙氏の「来るのが遅すぎた。申し訳ない」と涙声で語る姿が今も鮮烈に印象に残っています。その後、共産党は民主化運動を武力弾圧。趙氏も党の要職を解任され、約15年にわたる軟禁生活を余儀なくされました。中国は、趙氏が80年代に敷いた経済開放路線をそのままに歩み、未曾有の経済発展。裏腹に民主化は完全な足踏み。名誉回復ならずにこの世を去った趙氏に、経済開放路線を推進した朱鎔基前首相が「15年か?申し訳ない。申し訳ない!」と慨嘆したと伝えられています。今や13億の人口を抱える中国の民主化を、期待を込めて見守りたいと思います。合掌。11:30

2005年1月18日

趙紫陽元中国共産党総書記の訃報が届きました。趙氏といえば、思い出すのが1989年の天安門事件。私が中国南京大学に短期留学し、帰国後、雄弁会の先輩に誘われ大学に通いながら働き始めたのが、当時10数名の国会議員が共同で運営していたシンクタンクでした。そこの先輩研究員から「君、中国が専門なら、天安門事件についてまとめてみて」と、初めて仕事らしきもの与えてもらいました。いやぁ、懐かしい。結局、趙氏は天安門事件でハンストをする学生を見舞うなどして失脚。生涯名誉回復することはありませんでした。この訃報に接しつつ、昨日今年最初の「手塚日記」を書きました。テーマは初心を忘れず日中関係。ご一読下さい。10:10

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