月別アーカイブ: 2004年5月
2004年5月31日
手塚の独り言
静岡県議補選に挑戦していた原陽子さんは、残念ながら次点惜敗。どこかの区長選も真っ青になる約25%の投票率が最大の敗因でしょう。ただ20代の元国会議員は日本で彼女だけ。あきらめずに捲土重来を期してもらいたいと思います。さて、開会中の通常国会の会期も残すところあと2週間余りとなりました。来週には、小泉総理が先進国首脳会議(サミット)に参加予定とのことで、参議院で審議が続いている年金改革法案の採決を強行してくるとの噂が広がっています。一元化の議論も含め、およそ審議が尽くされたとは言い難い状況でしょう。今週末には、再び緊迫した場面があるかもしれません。10:20
2004年5月30日
手塚の独り言
一昨日の夜、地元事務所がある五本木の、選挙区内で唯一私が好んでお邪魔するスナックの開店13周年。お店を長く続けることの大変さを思い、親しくしている経営者を労っていたら、私自身が焼酎に労われてしまう始末。昨日は下目黒・五本木各住区センターでのタウンミーティングでした。少々の二日酔いをものともせず、お集まり頂いた皆様とは、民主党の政権戦略から介護におけるおむつ問題まで、それはそれは幅広く熱心に意見を交わすことが出来ました。その反動ではないのですが、昨夜は10時には眠りに落ちてしまった模様。2日間、独り言をさぼってしまった言い訳が長くなりました(笑)。7:25
2004年5月27日
手塚の独り言
昨日の独り言で「原陽子さんは昨年の総選挙には出馬せず」と書きましたが、実はちゃんと立候補していました。お詫びと訂正です。数名の方からご指摘頂き恐縮しています。また、読者の皆様の反応の早さに少々面食らってもいます。いずれにしても昨日は、辺り一面のお茶の段々畑のてっぺんから、下の集落に向かっての大演説などを精力的にやってまいりました。狭い日本、選挙の戦い方は様々です(笑)。今日はこの後いつもと変わらず、尾山台の駅前にて関口世田谷区議と活動報告を。やはりこちらの方が都会派の私には…。17:40
2004年5月26日
手塚の独り言
原陽子と聞いてピンときた方は相当の政界通。2000年の総選挙で初当選した、私の同期の桜でもあります。当時の所属は社民党でしたが、25歳の最年少代議士で、リュックを背負っての国会通勤は初々しく話題になったものでした。その彼女、昨年の総選挙には出馬せず、政界に嫌気がさしてしまったのかと思っていたら、どっこい故郷静岡に戻って、今度は民主党の支援を受け、静岡県議補欠選挙に挑戦中なのです。彼女の擁立に尽力した細野豪志代議士にせがまれ、私も今日は静岡に応援へ。二大政党政治は少しづつ地方議会にも広がりつつあるのかもしれません。9:50
2004年5月24日
手塚の独り言
朝日新聞の緊急世論調査で、7割近くの人が日朝首脳会談を評価するとのこと。北朝鮮への援助については6割が反対。しかし内閣支持率は再上昇。移ろいな世論を感じつつも、小泉総理にすれば「してやったり」といったところなのでしょうか。明日は衆院本会議で総理の訪朝報告を受け、各党が代表質問を。民主党は厳しく対処していきます。それにしても、ワイドショーなどから洪水のように垂れ流される一家団欒の様子。これもまた総理にとっては「してやったり」でしょう。次の狙いは、曽我さん一家の劇的な再会の演出かな。少々うんざりです。11:50
2004年5月22日
手塚の独り言
小泉総理の訪朝。金正日総書記との日朝首脳会談。長い長い1日でした。蓮池さん、地村さんのご家族が帰国することは素直に喜びたいところですが、横田めぐみさんのお父さんの「総理の再訪朝は予測していた範囲の最悪の結果。落胆している」との発言には胸が痛みます。さらには「何ら見返りを与えるものではない」と言い切っていた政府見解とは裏腹に、25万トンのコメ支援を約束してきたことをどう説明するのでしょうか。確かに相手のある外交は難しいことでしょう。しかし、パフォーマンス外交のツケはしっかり払って頂かなくてはなりません。23:15
2004年5月21日
手塚の独り言
小泉総理の訪朝を明日に控え、今日は看過出来ない指摘をひとつ。日本テレビによると、北朝鮮へのコメ支援を巡る報道に抗議し、飯島総理秘書官が平壌同行取材の拒否を通告してきたとのこと。通告は細田官房長官が撤回しましたが、飯島氏は「取材源を明かせば許可する」との取引まで持ちかけたとの報道も。これは権力側の恫喝まがいの行為といえるでしょう。小泉総理本人も「知らなかった」とのことで、報道の自由の根幹を侵す行為が一秘書官の一存でなされたとすれば大問題です。側近が権力の用い方を誤った傲慢な政権は、そう長く続かないことを確信しています。15:50
2004年5月20日
手塚の独り言
米国大リーグで剛速球左腕として有名なランディ・ジョンソン投手が、打者27人でゲームを終わらせる完全試合を達成。40歳の快挙。政界では圧倒的に若い、50歳で党代表に就任した岡田克也氏の最初の仕事である党内人事がほぼ完了。挙党態勢を築くべく、老・壮・青のバランスを大事にした人事になっています。藤井裕久幹事長、川端達夫国対委員長、仙谷由人政調会長、玄葉光一郎選対委員長。おそらくそれぞれの名前は全国区ではありませんが、実務能力の高い面々で、着実な仕事が期待出来ます。ちなみに、私の役職は今のところ不変のようです。18:05
2004年5月19日
手塚の独り言
昨日、難産の末ようやく岡田克也新代表が誕生しました。菅氏が代表辞任表明した際、後任として真っ先に名前が取り沙汰された岡田氏は「読みたい本がある。家族サービスもしたい」と発言するなど、幹事長として疲れ果てていたようでしたが、党の危機的状況の中で、文字通り天命として代表を引き受けられたのではないでしょうか。ではここで、岡田氏の横顔を。イオン(旧ジャスコ)の御曹司であることは有名ですが、東大卒業後、通産官僚を経て衆院議員に。当選5回。酒席でも必ず「僕はジンジャーエール」と。現在ちょうど50歳。念願の世代交代が一歩前進しました。7:35
2004年5月18日
手塚の独り言
まさに一寸先は闇。この言葉が独り言で週に2度も登場するとは思っていませんでした。小泉総理と同様で、年金保険料納付が義務化される以前に未加入の時期があったとして、小沢氏が代表選出馬辞退との第一報が入ったのが、昨晩午後7時過ぎ。青山で蓮舫さんの事務所開きを終え、仲間と焼き鳥を片手にレモンサワーを飲んでいる時のこと。情報が錯綜する中、野田国対委員長のもとへ移動し、対応を協議。この際、岡田幹事長しかいないとの結論を導くのに時間はかかりませんでしたが、この独り言を書いている今も次に何が起こるかわかりません。いやはや…。9:35