衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。
手塚の独り言
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2007年4月28日

1週間前の喧騒が嘘のように、爽やかな風薫る季節になりました。大型連休初日は、選挙期間中は出来なかったジョギングを駒沢公園にて復活。しかし約束の時間に集ったのは、八面六臂の大活躍で各陣営をサポートしてくれた土橋雄宇秘書と、辛酸をなめつつもこの選挙まで歯をくいしばって頑張ってくれた橘秀樹秘書と、私のたった3人だけ。まだ選挙戦の疲れが残っているのでしょうから、目をつぶることにします。さて今夕は、手塚事務所を卒業し、郷里の群馬に戻って、地元の市議選で見事初当選を果たした、蓮孝道君が凱旋とのこと。朝の駒沢公園には来れない不精者たちも、祝いの酒席には揃って集合間違いなしです(笑)。12:25

2007年4月26日

まだ見せてもらってませんが、松田哲也・中村公太朗両新区議会議員は、当選証書と真新しい議員バッジを手にしたはず。中村君は感激のあまり、昨日から発熱との情けない噂も広がっています。目黒では改選前4議席のところ8名の民主党公認候補を擁立し、松田君をはじめ7名が当選。世田谷では改選前3議席のところ12名の公認候補を擁立し、11名が当選。特に東京5区(玉川地域)の地域で、中村君をはじめ私が精力的に応援した5名全員が当選しましたから、ほぼパーフェクトな選挙結果でした。どこに行っても「大躍進だね、おめでとう」と言って頂けるのは嬉しいのですが、浪人生活が続く私としては、何ともむず痒い感じでもあります。大型連休明けからは、参院選の支援準備が本格化します。13:05

2007年4月24日

選挙という荒波にもまれ、候補者から政治家へと転じた面々と一緒に、昨日の朝から駅頭での当選報告の演説を続けています。投票して頂いたであろう方々からの激励や暖かい視線に胸が熱くなることもしばしば。初心忘れべからずですね。「きのうの報道で二つの出来事がありました。特急の車内で若い女性が痛ましい目に遭ったのに、乗り合わせた大人たちが誰一人助けようとしなかったこと。その一方で、火事の中で3歳の女の子が幼い妹をベランダまで運んだけど、間に合わずに命を落としたこと。本当に人間の価値は年齢とか経験の多さだけとは限らないものですね」と、ご支援を頂いてる方からのメール。「若い挑戦に多くの方が期待と祈りを込めて投票したのですから、是非頑張って下さいとお伝えください」とも。やはり初心忘れべからずです。11:40

2007年4月23日

特別な夜になりました。私の秘書を務めてくれた、松田哲也君が目黒で、中村公太朗君が世田谷で、蓮孝道君が群馬の山奥で見事に初陣を飾ってくれました。それどころか、応援したほぼ全員が当選。自分自身が苦杯を舐めてから約1年半。これほど充実感があって、正しい選択をしてきたと誇れる時は初めてです。感謝です。4:00

2007年4月21日

1週間の区議選の運動が終了しました。4年前は、私の秘書から区議に転身をはかった伊藤悠都議の戦いがありましたが、当時は国会での審議日程も立て込み、応援に専念するという環境ではありませんでした。また8年前は、ちょうどガンで闘病中だった実父を選挙期間中に亡くしました。駅頭や街頭より、病院での時間や慌ただしい葬儀の印象が多く頭に残っています。さらに12年前ともなれば、私もまだ駆け出し。所属していた日本新党が解党してしまい、無所属の立場。応援する候補があまりいなかったというのが正直なところです(笑)。振り返ってみると、今回の区議選が、事前の準備期間も含め最も精力的に応援で東奔西走したことになるでしょう。今日は実父の命日。志を立て果敢に戦った仲間たちの幸運を夜空の星に願いたいと思います。23:45

2007年4月20日

駒大苫小牧から楽天に進んだ高卒ルーキー田中将大投手と、阪神から海を渡りヤンキースに進んだ井川慶投手が揃って初勝利。昨日の目黒と世田谷の戦場には、区議選で初勝利を目指すルーキーのために、耐震強度偽装問題の追求で一躍名を馳せた馬淵澄夫衆院議員と、お馴染みの蓮舫参院議員の2人が揃って応援に駆け付けてくれました。感謝です。ただ、応援演説だけ済ませて、すんなりお帰りになるほど野暮なお2人ではありませんから、私が贔屓にしている学芸大学にある博多風の鶏の水炊き、白濁濃厚コラーゲンスープに舌鼓を打って頂きました。当然、芋焼酎もグビグビ。さて、ようやく天気も回復。浪人生の私でも必要としてくれる仲間のために、あと2日全力で走り抜けたいと思います。12:15

2007年4月19日

今週の新聞朝刊各紙にこぞって取り上げられている、首都圏の新人候補10名によって設立された「No!選挙カー推進ネットワーク」の代表者は、何と伊藤悠都議とのこと。本人は候補者でもないのに見事な売名行為となりました(笑)。そこは本人の名誉のために書き加えておくと、私自身が過去2回の総選挙で日本で唯一(公党公認・小選挙区候補)挑戦した街宣車を使用しない選挙運動のきっかけは、伊藤君の進言だったことは確かです。政策本位、公費節約、騒音・排ガス一掃など、支持者の方々に「うちの方に候補者が全然来ないぞ」と心配をお掛けること以外は絶対にいいことばかり。目黒では民主党公認の新人4人全員、世田谷では新人2人が推進ネットワークに名を連ね普及実践中です。彼らの勝利こそが、この運動の定着に直結することは間違いありません。12:20

2007年4月18日

選挙期間真っ只中、事務所前で長崎の伊藤一長市長が暴力団組員に銃で撃たれ、運ばれた病院で今朝未明亡くなりました。同じ長崎市長だった本島等氏が、今から10数年前に右翼に撃たれ重傷を負った事件の記憶も残る中での凶行となりました。今回の事件の背景はまだ詳らかではありませんが、まさに民主主義社会への卑劣な挑戦であり、絶対に許容することは出来ません。亡くなられた伊藤市長のご冥福を祈りたいと思います。合掌。さて、東京では連日の雨空に、候補者のみならず我々応援団もストレスがたまりつつあります。昨日の独り言で予告していた街宣車を使わない選挙運動については、また明日あらためて。12:10

2007年4月17日

都知事選は東京全体でたかだか12名の候補者でしたが、区議選となると私が住んでいる目黒だけでも50名近い候補者がいて、当然その数に比例した街宣車が、朝8時から夜8時まで引っきりなしやって来ます。フルボリュームで候補者名を連呼し、もう数日すると「あと一歩」とか「最後のお願い」となるわけです。こんな選挙運動にうんざりされている有権者も相当多いはずですが、この街宣車は、公選法や各区の条例に基づき、レンタカー代・ガソリン代・運転手の人件費まで公費で負担されていて、有権者は自らの負担で騒音被害を受けていると言っても過言ではないのです。マニフェスト型選挙が待望される中、今回の区議選では、街宣車を使わず運動をしている候補者が私の周辺にもちらほら。少しづつ認知され始めたこの運動について、明日あらためて。12:25

2007年4月15日

昨日は、昨夏の甲子園を沸かせた斎藤佑樹投手が、ほぼ同じユニフォームで神宮デビュー。学業の偏差値ではかなわない東大を相手に6回1安打8奪三振で初勝利。新たな楽しみが増えました。さて、統一地方選もいよいよ後半戦へ。本日、目黒と世田谷でそれぞれ区議会議員選挙が告示されました。なぜか選挙は戦国時代の名残りがあるようで、告示日には「出陣式」を行う候補者がほとんど。そこに「陣中見舞い」に伺い、応援演説をするのが私の役割なのです。今日は午前中からまさに息つく暇なく目黒と世田谷を右往左往し、実に20名の候補者の選挙事務所に伺いました。ヘトヘトです。しかし不思議なもので、事務所のスタッフやお集まり頂いた支持者の雰囲気で、ある程度当落がわかるようになりましたから、私もかなりの選挙通でしょう(笑)。19:15

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