衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。
手塚の独り言
  • HOME »
  • 手塚の独り言 »
  • 月: <span>2010年5月</span>

月別アーカイブ: 2010年5月

2010年5月29日

米国で発売から1ヵ月で100万台以上売れたという、「iPad」が日本上陸。社会報道としては、その熱狂ぶりを繰り返し伝えていましたが、私の周辺で手に入れたという人はまだ皆無です。機械に疎い私も、珍しくほんの少し興味を持っています(笑)。一方、政治報道は、普天間飛行場移設問題一色となりました。5月末決着という方針の中、鳩山総理は閣議決定への署名を拒んだ社民党の福島瑞穂大臣を罷免。日米合意で一応の体裁は整えたものの、この後味の悪い決着に、政権の一層の弱体化は否定できそうにありません。国会会期末が近づき、与野党の攻防が激しくなることも必至で、参院選を前に暗雲が立ち込めて来ています。政権にとって修羅場となる6月政局。私としては、蓮舫さんの再選に向けての取り組みにを中心に、目の前の仕事に全力を尽くすほかありません。12:50

2010年5月27日

1996年に衆院選初挑戦をして以来、合計4回、事実上一騎打ちの選挙を争った小杉隆元文相の妻が逮捕されました。支援者から金を騙し取った詐欺容疑との報道です。捜査当局の突然の動きでしたが、私の受けた印象は、びっくりというよりも何で今頃?というものでした。というのも、2005年の郵政選挙で小杉氏に敗れ、浪人生活を送っていた今から2年以上前に大きな話題になった事件で、当時は「投資話に騙された」とか「選挙前にお金を無心され断れなかった」とか「まさか、大臣の奥さんが逃げるとは」といった怒りの声を地元で多く耳にしていました。この件で小杉氏は政界引退を余儀なくされたとの憶測でしたし、妻は自己破産。債権者は200名を超え、負債総額も20億以上とのこと。インチキマルチ商法も顔負けの集金力にただただ驚愕したものでした。事件から何年も経過した後の捜査ですから、これも政権交代の影響かとも思ってしまいますが、被害者の方々の無念を晴らすためにも、厳正な捜査を期待したいと思います。いやはや。11:15

2010年5月24日

まもなく鬱陶しい梅雨の季節がやってくることを印象付ける雨が昨日からずっと降り続いています。大相撲では横綱・白鵬が2場所連続の全勝優勝。大関・魁皇は通算1000勝を達成。何度も引退の危機を乗り越え、あきらめずに積み重ねた偉業に、強すぎる横綱以上の拍手が送られました。一方、まったく拍手をもらえなかったのは、鳩山総理。沖縄を再訪し、普天間飛行場の移設先を名護市の「辺野古付近」と初めて明言。政権交代から8ヵ月の迷走の果て、ほぼ現行案に回帰したことについては、沖縄県民に期待を抱かせ、幻滅させてしまった政治的な責任は小さくありません。これで内閣支持率はさらに下落することは避けられないでしょうし、社民党の連立政権離脱の可能性も高まります。約1ヵ月先の参院選公示まで、それこそ「一寸先は闇」の予測の立たない政局となります。総辞職をして、政権の表紙のみを変えて参院選を乗り切るという姑息な手段は、それこそ前の与党と同じ手法で誉められません。我慢、忍耐の時が続くことになります。10:35

2010年5月21日

今国会の会期は6月16日までですが、当初成立を期していた法案の審議日程が足りず、会期延長の可能性が囁かれていました。仮に延長があれば、改選を迎える参院議員の任期ギリギリの7月25日投票の参院選もあり得ると思案してきましたが、どうやら重要法案に優先順位をつけ、労働者派遣法改正案と郵政改革法案に絞って会期中の成立を目指していく方針に固まった様子。となれば、6月24日公示、7月11日投票の日程で決まりでしょう。去年の今頃も総選挙の日程が定まらず、やきもきしたことを思い出しました。その参院選を前に、ようやく与野党が合意し、インターネット選挙が解禁になりそうです。自民党政権下では、党内のベテランがネット選挙と聞いてだけで民主党に負けそうだと警戒していたようで、遅々として進まなかった議論も、政権交代によって我々が腹を括れば野党もあっさり。これで、選挙期間中にホームページやブログを堂々と更新できるようになります。それにしても、今日は暑くなりました。30度? 14:10

2010年5月19日

ようやく野党らしさが板に付いてきた自民党。内閣支持率の続落が勢いづけているのか、このところ国会対策上の抵抗が激しくなってきています。昨日予定されていた本会議の開始時刻は午後1時。ごねるだけごねて、法案採決を決断した常任委員長への解任決議まで提出。待てど暮らせど始まらない本会議に翻弄され、結局、本会議が始まったのは夜の9時少し前のこと。採決の後に行われる予定だった郵政改革法案の趣旨説明は聞かず、その質疑もせずにさっさと退席。我々与党議員だけで、亀井静香郵政改革担当大臣の持論を深夜にたっぷり拝聴させてもらいました。辛うじて日付をまたぐことはありませんでしたが、今日は皆さん寝不足間違いなし。通常国会の会期末まで1ヵ月を切り、参院選を意識した与野党の攻防は益々激しくなることでしょう。こちらも与党らしく、我慢と忍耐を身に付けることが求められそうです。13:50

2010年5月17日

今日から私も衣替えし、夏物のスーツに身をまとい駅頭に立ちました。風薫る絶好の季節となりましたが、民主党政権を取り巻く環境は一層肌寒くなってきています。週末に実施されたメディア各社の世論調査で、鳩山内閣の支持率が続落。いよいよ信号が黄色から赤に変わりつつあるようですが、少し冷静に世論のトレンドを整理してみます。まず、鳩山総理について。普天間問題を5月末までに決着できなかったとしても、世論の過半数は「退陣する必要はない」と懐が深い数字。毎年総理の顔を変え、国民の批判を逃れてきた自民党の手法に対する否定が込められているのでしょうか。民主党の支持率も内閣支持率と比例し下落の一途ですが、自民党への回帰がないことも事実で、参院選後の望ましい政権の枠組みでは「民主中心の連立政権」が群を抜きます。また、行き場を失った無党派層は、最近自民党を見限った面々の新党ではなく、昨年の総選挙前からあった「みんなの党」が老舗新党としての存在感を示し、その受け皿になりつつあります。世論の動向を謙虚に受け止め、日々全力を尽くして参ります。一つ忘れてました。小沢一郎幹事長については「辞任すべし」が圧倒的でした。11:30

2010年5月15日

旧東京帝大卒業し、内務省に入り、自治庁(現総務省)の事務次官を歴任。その間に、東京府の都制移行、地方自治法の制定を手掛け、官僚の最高ポストである内閣官房副長官に就任。その後、東京都副知事として東京五輪開催に尽力し、大阪万博の事務総長も務める。そして、1979年に東京都知事に初当選。革新の美濃部都政の残した累積赤字を短期で解消し、都庁の新宿移転なども手掛ける。まさに、日本の「地方自治の父」といっても決していい過ぎではない鈴木俊一氏が逝去されました。合掌。99歳の大往生でした。私が都議会に初当選した1993年当時は、知事4期目の最後のタイミング。私が都議会本会議で初登壇した際の、「地方自治の父として、首長の多選の弊害をどう考えるか?」との不躾な質問にも、孫を諭すように答弁されたのを懐かしく思い出します。心からご冥福を祈りたいと思います。中央政界では、長く「参院のドン」と呼ばれた青木幹雄氏が体調不良を理由に参院選の出馬を断念との報道。大きな時代の節目を実感する週末です。12:20

2010年5月13日

平均体重が90キロを超える男性2人と、候補者になった経験やこれから議員を目指す人を含んだ女性が4人。ほかでもない、昨年来の手塚事務所常勤スタッフの陣容です。政治活動歴18年、国政参画から10年になる私の事務所史上、女性スタッフが数で上回るのは初めてのことでした。依然としてこのバランスが変わるわけではありませんが、今月から爽やかな新米男性秘書が誕生しています。目黒区内の小・中学校出身、どんな語学を学んだかは知りませんが、東京外大を卒業後、目黒雅叙園に就職。今春、目黒の区議選公募に応募したことをきっかけに転職。元ホテルマンらしい折り目正しい物腰は誰からも好感をもたれること間違いありません。西崎翔(つばさ)君26歳。しっかり修行して、堂々と世に出てもらいたいと思っています。地元の目黒区議団には新たな刺激として受け止めてもらえれば幸いです。9:00

2010年5月11日

昨年同様、大型連休明け早々に記者会見を開いた小沢一郎幹事長。昨年は代表辞任会見でしたが、今年は誰もが五輪で声援を送った柔ちゃんこと、柔道の谷亮子さんを参院選で擁立するとのサプライズ。まだ彼女は引退表明してなかったと思いきや、当選しても「2012年のロンドン五輪を目指す」と、たくましく。それなら蓮舫さんも「再選されたら、もう一度クラリオン・ガールを目指したら?」と振ってみると、「そのキャンペーン自体もうありません」とピシャリと仕分けられました。冗談を言ってる場合ではなく、片手間でできるのかとか、2足のワラジを履けるのかといった批判も承知していますが、参院の非拘束名簿の全国比例という現行制度を考えると、知名度が何よりの武器となり、組織に頼らず得票を期待できる候補はどの政党にとっても涎が出ることも事実。それにしても去年とは確かに違う、小沢幹事長の不退転の決意を見せ付けられ、動揺を隠せません。11:15

2010年5月9日

2005年の郵政選挙で議席を失った時、少々自棄になって大好きなゴルフの封印を宣言。昨年8月に国政復帰を果たせたことで、満を持して復活しましたが、何かと忙しくラウンドできたのもほんの数回だけ。今日は半年ぶり、今年最初のラウンドで茨城の日立に向かっています。メンバーは伊藤悠都議と中村公太朗世田谷区議。人生で最も多く一緒にラウンドするであろう2人は、いずれも学生時代から私の秘書を務めてくれていましたが、ゴルフについての生い立ちはだいぶ異なります。悠君はいわば手塚事務所の研修生あがり。負けず嫌いの性格もあり、最近は私と一緒のラウンドでプレッシャーを受けない限り、100打を超えることはなく、政治家の中ではそれなりのレベル。一方の公太朗君は立教大の体育会ゴルフ部に所属していたことで、私の専属コーチにする思惑で受け入れた学生秘書でした。しかし、その実力はゴルフ部宴会担当。飛距離と曲がりは確実に比例するもので、3人のスコアは当初から五十歩百歩。目糞鼻糞。互いのミスショットを笑い合えるゴルフが一番。雲一つない晴天に恵まれ、今日ばかりは逆風も見方にして楽しくラウンドして来ます。8:55

1 2 »

過去の独り言

PAGETOP
Copyright © 衆議院議員 手塚よしお All Rights Reserved.