衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。
手塚の独り言
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2011年9月26日

今日は官邸とメディアの関係について。このところ新聞紙面でよく目にする「ぶらさがり取材」って一体何だ?という疑問にお答えします。元々は、ぶらさがりというだけあって、総理の移動の際に記者がこぞってについてまわる取材方法のことでした。それが小泉政権時代に1日2回、立ち止まり、テレビカメラに向かって記者の問い掛けに総理が答えるという方法へと変貌を遂げ、いわゆる小泉流「ワンフレーズ」政治の発信の原動力となってきたのです。その後の5人の総理はこのスタイルを踏襲してきましたが、先般の大震災を契機に行われなくなったというのが大まかな経緯です。メディア側は、野田政権には早く「ぶらさがり」を復活させるべきだと既得権を声高に主張しますが、世界中どこを見渡しても、こうした方法での取材を受ける一国のトップリーダーなど存在しません。奥歯に物のつまった表現で恐縮ですが、官邸側としては、1日2回という形に縛られることなく、一方でこれまでのやり方だけに頼らない発信方法も含め検討中といったところです。さて、国会では予算委員会での基本的質疑が続いています。答弁対応の打合せには私も参加します。明朝6時に官邸です。22:20

2011年9月23日

8等身の大統領と5等身の総理の初めての首脳会談。中身も色々とあったはずですが、オバマ大統領からは「I can do business with him」との率直な感想がもれ伝わってきています。「彼となら一緒に仕事ができる」と感じてくれたと解釈していいでしょう。日本を出発する前に、総理は「オバマ大統領は合理的な考えの人だから、誠意が通じるかなぁ?」と漏らしていましたから、この反応には総理自身も手応えを感じてるはず。この数日は多くの方々に「国連総会には一緒に行ってないの?」と聞かれましたが、外交を担当する長島昭久補佐官がいますので、私は官邸留守番係。それでも、何かと雑用の多い時間でした。総理は明日帰国予定。休む間もなく、週明けの月曜日から衆参2日づつ4日間続く予算委員会の答弁の準備になります。もちろん留守番補佐官にも連休などありません。22:55

2011年9月18日

今日は毎年楽しみにしている目黒の「さんま祭り」。今年で16回目を迎えるこのお祭りは、例年来場者数が1万人を超え、気仙沼より届いたさんまを無料配布するもの。今年は大震災の影響で開催が危ぶまれましたが、「目黒の人たちへ被災支援の恩返しをしたい」という気仙沼市の皆様の強い思いのもと、約5000匹のさんまが届けられ開催する運びとなりました。事前のメディア報道も手伝ってか、例年以上に会場内では自由に身動きが出来ない程の盛況ぶり。加えて、残暑というには厳しすぎる30度を超える炎天下。毎年、私以上に楽しみにしている蓮舫大臣もご一緒でしたから、我々の移動も一大イベントと化していました(笑)。秋の味覚を堪能し、秋の訪れに思いを馳せたのも束の間、気仙沼の方々の思いに応えるためにも、復興へ向けて決意を新たに致しました。一方、野田総理は就任後初めての1日オフ。ゆっくりできたでしょうか? 2日連続はどうしても休めないという総理自身の意向もあって、明日は大田区のものづくりの現場や日産自動車神奈川工場を視察予定で、私も1日同行致します。18:05

2011年9月14日

本日45歳の誕生日を迎えました。親になって初めてわかったことですが、誕生日は本人よりも親にとって特別な1日。私も今日は改めて母親に感謝をしたいと思います。さて、その特別な1日も野田総理と共に朝8時から仕事開始。昨日召集された臨時国会で渾身の所信表明演説を行った野田総理。これを受け、今日からは各党の代表質問が行われました。前日の夜ギリギリに質問通告があって、それを霞ヶ関フル稼働で答弁を準備し、そこに総理自身の思いを散りばめていく作業となりますが、一夜漬けならぬ朝漬け状態となるのです。いやはや体力勝負となりますが、こんな私にも官邸での仕事をサポートしてくれる秘書官が付いてくれました。彼は経済産業省のキャリア官僚で32歳。将来は手塚補佐官の秘書官を経験しましたと胸をはってもらえるようないい仕事をしなくてはなりませんね。ところで、たくさんの誕生日プレゼントやお祝いメールを頂きました。この場をお借りして、御礼申し上げます。19:10

2011年9月10日

これまでの政治活動を振り返っても、明らかに忙しさのレベルが違う日々。この独り言の更新もままならないこともお詫びしなくてはなりません。私が野田総理から指示されている補佐官としての役回りは、まず総理官邸内の総合調整。これは1日2回公式な記者会見を開く藤村修官房長官を補佐することも含まれます。次に、斎藤勁官房副長官と役割を分担して、政府と党の国会対策委員会との連絡調整係。さらには、メディア対応全般。そして、総理の随行任務も加わります。昨日もそうでしたが、総理が地方に視察という場面は必ず補佐官が随行します。東日本大震災関連については末松義規補佐官が、海外の外交は専門の長島昭久補佐官が担当しますが、それ以外の大半は私の任務となります。敬愛する野田総理の最も近くで働けることに喜びを感じつつ、その責任の重大さも認識しているところです。今日は総理が岩手と宮城の震災被災地視察で、私はお役御免。かれこれ30年以上通う床屋で散髪中ですが、予想外の事態も起きていて、愚息とのレゴで遊ぼうという約束は反故になってしまうかもしれません。13:50

2011年9月5日

「駅前留学はNOVA、駅前演説は野田」というフレーズを自分で使うぐらい、25年にわたる駅頭演説で鍛え上げられたという野田佳彦総理の演説力。遠く足下にも及びませんが、私の年季もまもなく20年。今朝もいつも通り学芸大学の駅頭に立ちましたが、先週までとは明らかに違う空気を実感しました。期待感が戻ってきているのです。言葉ではうまく表現できませんが、これは長年の肌感覚で外れることはまずありません。私の印象を裏付けるように、メディア各社の世論調査でも、内閣支持率が概ね60%ぐらいまでV字回復していました。一喜一憂はしません。ただ、本当に最後のチャンスを頂いたと決意を新たなしているところです。本日、内閣総理大臣補佐官を拝命致しました。総理官邸に呼び込まれ、野田総理から正式に辞令交付を受けた時は、目眩を覚えるほどの感激でした。仕事場は総理官邸。野田総理の最も側で総合調整、メディア対応などを担当致します。月並みな言葉しか思い浮かびませんが、命懸けでお支えしたいと思っています。16:30

2011年9月3日

昨日、皇居での任命式や閣僚の認証式を経て、正式に野田内閣が発足。言葉にはできないほどの感慨と、たった数日で顔付きや佇まいまでもが変化した野田さんが、どこか遠くに行ってしまいそうで、一抹の寂しさを感じています。これまでの道程が厳しかった分、様々な場面が脳裏に甦り、万感胸に迫るものがありました。個人的には、私がなぜ野田さんを総理にしたいのかと話しても、家族や身近な支持者からも、首を傾げられることが多くありましたが、今回の政治生活の集大成という乾坤一擲の演説は、野田佳彦という政治家の類い稀な力量を世にアピールできたようで、慧眼を誉めて頂けるような時は天にも昇る思いです。今後の私の役回りは週明けに発表となりますが、論功行賞でポストを求めるような側近がいないことが野田総理の強みで、約束通りの挙党体制を築くことができたと思っています。いずれにしても、まずは党一丸となって政治を前に進めていくことが一番大事なことでしょう。この週末は、TBSの「報道特集」(3日17:00〜)、テレビ朝日の「サンデーフロントライン」(4日10:00〜)、日本テレビの「真相報道バンキシャ」(4日18:00〜)の取材を受けました。是非ご覧下さい。14:30

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