月別アーカイブ: 2010年4月
2010年4月28日
手塚の独り言
同じ政治資金規正法違反の疑いで告発されていた鳩山総理と小沢幹事長。検察審査会の判断で、鳩山総理は不起訴相当で、小沢幹事長は起訴相当。市民感覚で示された判断の違いはよくわかりませんが、厳粛に受け止めるべきだと思っています。これまで小沢幹事長は「幹事長の仕事は選挙に勝つことだ」と言われてきたわけですし、今回示された市民感覚に抗うことは、それこそ参院選では致命的なダメージがあるはずです。出処進退についてはご本人が判断するべきであるとの原則は変わりませんが、党内でも政変前夜というべき微妙なムードが広がりつつあることは確かです。ちなみに去年は、総選挙を前に重苦しいゴールデンウィークを過ごし、連休明けに小沢代表辞任会見、そして代表選挙ということになりました。さて。12:30
2010年4月26日
手塚の独り言
18年間駅頭演説を続けている私にとっては、その時々の有権者の反応がバロメータになります。先日はこんなやりとりがありました。マイクを握る私に「応援してるけど、しっかりしてくれないと」と。「ご心配おかけしてます。参考までに、どの点が一番ご不満ですか?」と私がうかがうと、「公約が守られてないよ」と。「マニフェストのどの政策ですか?」とうかがうと、「子ども手当には絶対反対だよ」ときっぱり。「えっ、それは公約通りですが…」と答えると、「とにかく、しっかりな。今、急いでるから」と立ち去られました。新政権への期待に十分応えられていないもどかしさ感じる場面ですが、有権者の側も整理のつかない漠然とした苛立ちがあるようにも感じます。その象徴が普天間問題でしょう。沖縄県外移設には賛成。鳩山総理の思いは理解できても、その進め方が拙劣で、政治力、決断力に欠ける。好い人と八方美人は表裏。行き詰まったからといって、総理の首を取り替えその場をしのぐ手法は前政権を踏襲するだけで、政権の責任を果たすことにはなりません。苦しい場面が続きます。11:15
2010年4月23日
手塚の独り言
まさに雨後のタケノコのように、今日また新党が旗揚げされます。私はこの独り言を携帯電話で書いていますが、残念ながら正しい漢字に変換できない「マス」という字を使う、最近のメディア調査で最も総理に相応しい政治家として人気の方が、自民党の一部からは「オオカミ中年」などと揶揄され、遂に決断。しかし、一緒に新党改革を結党する面々は、離党を繰り返し政界を渡り歩いて来た方々や、参院選に向け自民党から公認を外された方々。およそ政策や理念などではなく、選挙と政党助成金という思惑のみが一致した新党と酷評されそうです。国民からの人気とムラ社会での人望は別物ということでしょう。やっとのことで自民党に見切りをつけた思いきや、合言葉は「打倒民主党」と言われても警戒心はわいてきません。それにしても、春の存在感が乏しく、夏になったり冬にもどったり…。変な気候ゆえ、くれぐれも風邪にはご注意下さい。11:30
2010年4月21日
手塚の独り言
今日は実父の命日。音楽評論家として名を馳せたいソノてルヲが他界して11年になります。ほとんど知られていませんが、父がその道に進むきっかけとなったのは、慶応大学卒業後に就職したアメリカ大使館だったそうです。その大使館の要請で、先日APEC担当のカート・トング大使と親しく懇談する機会がありました。今年の秋にAPECが日本で開催されることもあり、新政権とのパイプ作りの一環だったと思われます。時節柄、普天間問題にも話が及びましたが、もっと基本的な日米関係についての考察も聞きました。まず、米国のエリートらが日本で起きた政権交代という変化を重く受けとめてなかったとの反省があると。日本は政権の変わる可能性がない国と見られていたんですね。一方、日本はどんな場面でもアメリカとの関係は不変との甘えがあるのではとの警鐘も忘れていません。米国にとって牛肉輸出が普天間以上の関心事と経済的な側面を強調したのは立場上のことでしょうが、こうした意見交換の重要性を実感できたのも与党だからこそです。出口の見えない普天間問題を抱えながら、今日は午後3時から、今国会3回目の党首討論です。12:55
2010年4月19日
手塚の独り言
日本創新党なる新党が結党されました。山田宏杉並区長が党首、中田宏前横浜市長が代表幹事に就任。W宏さんとも松下政経塾及び日本新党の出身で、私も学生時代に山田さんの選挙でポスター貼りの手伝いをした経験がありますし、中田さんとは共著で本を出版したことも。つまり、両氏の考え方や人となりをよく承知していますから、平均年齢約70歳の新党とは親近感が違います。ただ、こうした新党結党連鎖の背景に民主党政権の不安定さが影響しているのであれば、期待感を抱いている場合ではなさそうです。さて、残念なニュースを一つ。阪神の金本知憲選手の連続試合フルイニング出場が1492試合でストップしてしまいました。しかし、未来永劫塗り替えられることのないであろう世界記録に拍手を送りたいと思います。実に10年以上に渡って無遅刻、無欠勤、早退けなし。それも、日本一の人気球団の主軸としてですから、とてつもないことです。本人は「チームのためなら、自分の記録が途切れても構いません。勝つために、僕は外れます」と監督に願い出たとのこと。うーん、民主党にも…。これ以上は書けません。13:20
2010年4月17日
手塚の独り言
私の記憶でも、桜が散ったあとの雪を東京で見たことはありませんでした。皮肉にも、今日は鳩山由紀夫総理が初めて主催する「桜を見る会」が、八重桜が見頃となった新宿御苑で開催されています。現在の政権を取り巻く環境を象徴するような悪天候ですが、私が招待を受けたのは、細川護煕総理が主催した1994年以来のこと。与党の仲間と参加することを楽しみにしていましたが、実は急な予定変更で、朝一番の飛行機に飛び乗り青森に来ています。日頃から大変お世話になっている後援者の父上がお亡くなりになり、その告別式に参列します。目的地は、三沢空港から車でさらに2時間下北半島を北上する、本州最北端むつ市大湊町。日帰りの強行軍となりますが、渡世の義理を欠くことはできません。合掌。鳩山総理主催の「桜を見る会」が来年もあることを祈りつつ…。10:55
2010年4月14日
手塚の独り言
ソメイヨシノが葉桜に変わり、春爛漫の季節。日中は汗ばむほどで気温はどんどん上昇しますが、鳩山内閣の支持率が下げ止まりません。週末の世論調査では30%を割り込む数字も散見。昨年の政権発足直後は空前の70%超えを記録していたのが嘘のような下落ぶりです。目眩。世論調査に一喜一憂をすべきではないのでしょうが、数字の上では明らかに危険水域であり、週間誌の見出しなどで「内閣改造」「ポスト鳩山」にとどまらず「衆参ダブル選」などという物騒な用語までもが踊り始めています。少し前までは、小沢一郎幹事長の「辞任カード」のタイミングが囁かれていましたが、もはやその効果が政権浮揚策にならないとの声も広がりつつあるように感じます。とても苦しい局面ですが、今はそれぞれが持ち場を守り、精一杯働くほかはありません。9:10
2010年4月11日
手塚の独り言
一昨日は、7月に予定される参院選に向け、蓮舫さんの選対本部を立ち上げました。本部長は海江田万里代議士。私の役回りは選対総括で、6年前のデビュー戦同様で責任者として陣頭指揮を取ることになります。昨秋の事業仕分けで流行語にもなった、彼女のあの発言を受け「1番じゃなきゃダメなんです!」が陣営の合言葉。トップ当選を目指して頑張ります。昨日は、世田谷区を小選挙区で分ける東京6区の小宮山洋子代議士や関口太一君ら3人の都議と共に、世田谷区議選の公募に応募頂いた方々の面接を実施しました。22人の応募から書類審査で絞られた14人を一気に。結果、8人の方々が最終審査に進むことになりました。多くの有為な人材が地域で名乗りをあげてくれていることに手応えを感じています。そして今日は、これから福井県へ。福井全県区で参院選に出馬を予定する井ノ部航太君の応援です。私が最も期待する35歳の新人は、慶応、電通、○○イチというスマートな経歴(笑)。民主党が最も弱いと言われてきた福井県で、一泡吹かせるべく援護射撃に行って来ます。12:55
2010年4月8日
手塚の独り言
ドラフト外で入団し、数球団を渡り歩き、内野、外野だけでなく、チームの緊急事態では捕手までこなした、巨人軍の木村拓也コーチが逝去。享年37歳。私が失った40歳の友人とまったく同じくも膜下出血でした。私の友人は、朝自宅で朝食を食べながら、木村コーチは試合前のノックの最中に突然倒れたとのこと。働き盛りの我々に警鐘を鳴らしてくれたものと、重く受け止めるべきでしょう。あらためて、ご冥福を祈りたいと思います。一方、働き盛りの時期を過ぎたと思われる、政界のベテラン5名が「たちあがれ日本」という、自らを鼓舞するような名称の新党を立ち上げることになりました。5人の平均年齢は69.8歳。長年日本政治を牽引されて来た面々が自民党と一線を画すわけですから、一定の敬意を表したいと思いますが、週末の結党を前にすでに冷やかな視線が送られています。繰り返しになりますが、他党の心配をしている余裕はまったくありません。13:55
2010年4月6日
手塚の独り言
この週末、多くの観光客で賑わった中目黒。満開だった目黒川沿いの桜も、ようやく戻った春の陽気と共に花吹雪。儚い一瞬の美しさが我々を魅了するのでしょう。昨日は言葉では言い尽くせない悲しい別れがありました。20年来の親友が帰らぬ人に。大学こそ違うものの同じ弁論部の出身で、大手出版社で週刊誌の編集を生業とする彼は、常に政治には懐疑的な視線を持ちつつも、私の選挙は楽観予測。プロ野球が大好きで、下手だったゴルフも何度もご一緒しました。そう、この日曜もいつものメンバーで花見を兼ねてラウンドする予定でした。福島県出身の彼は、私の地元である自由が丘にマンションを購入し、一粒種は私の小学校の後輩に。この春、中学受験に成功した息子を「早くも俺を超えた」と吹聴していた夜から数日後、くも膜下出血で倒れ、3週間意識が戻ることなく昨日最期を迎えました。あまりに身近な友人との別れにいささか現実感がわきませんが、毎週月曜にあの週刊誌がスタンドに並ぶ度に彼を偲ぶことになるでしょう。好漢・中島史人君のご冥福を祈ります。合掌。それにしても、早過ぎるぜ。17:55