月別アーカイブ: 2006年10月
2006年10月31日
手塚の独り言
今日は来春の世田谷の勢力模様について。まず、都知事選と同日に欠員がある都議の補欠選があります。昨年涙を飲み捲土重来を期す有為な人材が周辺にいますので、まもなく結論を出したいと思ってます。そして後半の区長選。高齢の現職区長に対し、民主党として明快な対立軸を示すべきで、その推薦候補がようやく先週決定しました。この件に関する私の複雑な思いは封印宣言をしたばかりですので…。何より力が入るのが区議選です。現在のところ52の定数に対し現職・新人合わせて12人の候補者を擁立することに。特に私の小選挙区の範囲である玉川地域で活動する5人の候補については、都議補選候補共々火の玉の如く戦いたいと思ってます。
2006年10月30日
手塚の独り言
来年4月、すなわち半年後に迫りつつある都道府県知事選をはじめ全国の市区町村議員選などの統一地方選挙は、平成の大合併の影響で前回(2003年)の半分以下の1121件になるとのこと。私自身が候補者となるわけではありませんが、自らの選挙区と関わる選挙も少なくありません。あらためて整理してみると、まず東京都知事選。石原慎太郎知事の3選出馬が取り沙汰されていて、民主党の候補者擁立作業も難航中です。地元目黒では区長選はなく、区議選のみの予定です。現在のところ36の定数に対し現職・新人合わせて9人の候補者を擁立する見込みとなりました。一方、世田谷はちょっと複雑ですので、また明日あらためて。9:30
2006年10月27日
手塚の独り言
球場が揺れるほどの熱い声援を受けて、北海道日本ハムが日本一に輝きました。ヒルマン監督より先に新庄選手が胴上げをされている頃、私は急な呼び出しで赤坂の居酒屋に居ました。先般の衆院補選で大阪9区で惜敗した大谷信盛さんが上京していて、その激励会が急遽開催されたのです。彼と私は2000年の総選挙で初当選を果たした同期の桜。現在も浪人中という境遇も似ていますが、昨日はその同期の仲間が集い旧交を暖めました。選挙での勝ったり負けたりもありますし、政治の権力闘争もしばしば経験しましたが、20世紀の最後に国会で巡り合った仲間の友情に大谷さんも感激したことでしょう。政権交代と捲土重来をお互いに誓い合う楽しい夜でした。15:40
2006年10月25日
手塚の独り言
一昨日初雪が降り、初氷が観測され、冬支度を進める時期の冷え込みと反比例するように、北の大地・札幌が熱く燃えています。北海道民が待ち望んだ初の日本シリーズで日本ハムが勝利し、通算2勝1敗に。千両役者の新庄選手にばかり目がいきがちですが、決して名前が全国区ではない若い選手が大舞台で素晴らしいプレーを見せてくれています。このまま一気に日本一の予感です。さて、今日は故石井紘基さんが右翼の凶刃に倒れた命日です。日々活動を共にしている関口太一君をはじめ、我が事務所から来春の区議選に挑む若い面々も、世田谷を地盤にしていた石井さんとは面識すらないはず。4年の歳月の経過を実感します。石井さんの笑顔を思い出しつつ、合掌。14:50
2006年10月24日
手塚の独り言
公共事業・ダム建設・ゼネコン・談合・賄賂…。連想ゲームが出来るぐらいしばしば地方行政の現場で露呈する腐敗の構図。昨日、佐藤栄佐久前福島県知事が逮捕されました。岐阜県でもウラ金が作られ、長いことその存在が隠蔽されてきましたし、和歌山県でも官製談合で出納長が逮捕されたばかり。様々な問題点が指摘されていますが、その根源は首長の多選が背景だと思います。人事や予算執行など大統領的権限を有する首長の影響力は大きく、そうした絶対権力が必ず腐敗することは歴史が物語っています。民主主義の国アメリカでは、そのことを知ってか大統領をはじめ州知事の任期が2期8年までとされてます。佐藤前知事は5選でした。民主党では多選首長を推薦しないルールを作っていますが、そろそろ国の制度として真剣に検討するべきでしょう。15:10
2006年10月23日
手塚の独り言
何とも地味な対決となった中日と日本ハムの日本シリーズ。このシリーズが最初で最後となる新庄選手のパフォーマンスは1勝1敗で北の大地・札幌へ。まだまだプロ野球が楽しめそうです。さて、昨日投開票となった神奈川16区と大阪9区の衆院補欠選挙。安倍新政権発足後初の国政選挙として注目されましたが、結果は自民党の2連勝。残念です。補選の度に指摘される低投票率が今回も大きな壁となりました。自民・民主とも総力戦で挑みましたが、低投票率でものをいうのはやはり公明票でした。連立与党両党はもはや一体。批判をしたり嘆いたりするよりも、まず民主党のより鮮明な立ち位置を国民の前に示すことが肝心だろうと思います。8:55
2006年10月21日
手塚の独り言
昨日の続きです。カラオケは少々自信があったとしても、人前で自らの政見を演説することは容易ではないことは想像して頂けると思います。それにしてもまだまだ思いばかりが先走り、およそ何を話しているのかわからない橘秀樹君や中村公太朗君の横でビラを配ることが苦痛かと思いきや、自分でも驚く程の手応えがありました。私自身が配っていることに気付いて頂き、表彰状でも受け取るように両手を出して頂いた方にはこちらが恐縮してしまいましたが、まず普段より多くの方がビラを受け取って下さるのです。そして「あら、ご苦労さま」とか「いつも応援してます」と声を掛けて下さる方の多いこと。思いがけない有権者との対話を楽しみつつ、当分は半人前弁士の成長を見守りたいと思っています。11:55
2006年10月20日
手塚の独り言
再び都政を目指して浪人中の関口太一君と私が交互にマイクを握り演説をしていた世田谷の玉川地域での駅頭風景に変化です。関口君が主に活動していた地域を二分し、橘秀樹君(奥沢・九品仏地域)と中村公太朗君(尾山台・等々力地域)が来春の世田谷区議選に向けて活動を始めています。私の秘書を務める若い2人は、これまで我々が演説をしている横で熱心にビラ配りをしていたのですが、今度は自分たちがマイク握る立場に。私を含めて3人で順番にマイクを握れば、駅頭を通行する有権者の皆様には誰が候補者なのかわかりづらくなりますし、何よりビラ配りの人員が不足してしまうのです。そこで最も選挙が先になりそうな私が、最強のビラ配り人となっているのです(笑)。続きはまた明日。9:00
2006年10月18日
手塚の独り言
小沢一郎代表と安倍晋三総理を比較してみると、意外と多くの共通点があることに気付きます。2人とも有力政治家への登龍門とされてきた内閣官房副長官に45歳の若さで起用されています。また、自民党のナンバー2の存在である幹事長に小沢氏が47歳、安倍氏が49歳で抜擢されていることも共通点。2人の51歳の時に下した決断が現在の違いになっているのかもしれません。小沢氏は宮沢内閣の不信任案に賛成し自民党を離党。総選挙後の細川連立政権樹立に大きな役割を果たしました。一方、安倍氏は総裁選への出馬を決意し、見事総理の座を射止めました。今日、この2人が初めての党首討論を行うことになっています。私は決して順風満帆とはいえなくとも、筋を通し続けてきた64歳の年輪に期待しています。13:35
2006年10月17日
手塚の独り言
昨日、来春の世田谷区長選の対応を協議する民主党の会合がありました。私にとっては小選挙区の半分を占める世田谷ですが、その半分に当たる玉川地域は世田谷全体の3分の1に過ぎないという現実の中で、世田谷で民主党の看板で活動する同志の賛同を思うように得られない結果となりました。この間、私の未来志向の提案に賛同し共に歩んで来てくれていた仲間に対し、自身の力不足を恥じています。政党が地域に根付き成長する過程で生じる軋轢の少々は仕方ないと思いますが、党内の足の引っ張り合いは自民党に利するだけと何度も学習して来ました。この際は区長選の話題は封印し、長期展望を再構築したいと思います。志あるところに道は拓けるとの信念に一点の曇りもありません。13:25