衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。
手塚の独り言
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2011年7月27日

ノルウェーでは、先日の爆発テロや銃乱射で80人近くの犠牲者が出たとの報道。逮捕された民族主義的思想犯には、死刑制度どころか無期懲役すら定められていないお国柄で、最長でも禁錮21年しか科されないとのこと。日本人の感覚からは信じられない海外からのニュースの極めつけは中国。200人以上の死傷者が出た列車事故で、即座に事故車両を埋めたり、掘り出したりのてんやわんや。開いた口が塞がりません。さて、延長国会も会期末まで残り1ヵ月。「一定のメド」の第1ハードルとなる第2次補正予算は成立し、第2ハードルの再生可能エネルギー特措法もすでに実質審議に入っています。また、私が筆頭理事を務める倫理選挙特別委員会でも明日委員会を開催し、9月末まで延期できるとした被災地の選挙特例を、さらに年末まで延ばす法案を議員立法で仕上げる段取りとなっています。リセットまでコツコツの日々が続きます。13:30

2011年7月23日

イソップ童話の「北風と太陽」を引き合いに、政界では相手に厳しく当たる北風政策と、その反対の太陽政策がよく政治手法として例えられます。今の政治状況に当てはめれば、菅総理に即時退陣を求める動きが「北風」で、最後まで足を引っ張ることなく見守る姿勢が「太陽」ということになるでしょうか。その意味では、私は太陽派。昨日、ある先輩議員が「総理は本当にしぶといよな。北風は風力に、太陽はソーラーパネルで、どっちもエネルギーにしちゃうからな」と。一同大爆笑。しかし、誤解なきよう繰り返しますが、菅総理は延命をはかり、長く総理を続けたいわけでは決してありません。週明けには第2次補正予算の成立も見込め、いわゆる「一定のメド」に向け一歩前進します。Xデーを見据えつつ、今日は我々国会議員同様でほとんど夏休みを取れないであろうスタッフを慰労すべく、蓮舫事務所との合同暑気払いです。なぜか、暑気というほど暑くはありませんが…。8:30

2011年7月19日

サッカー女子にワールドカップが存在することも、この夏開催され、日本代表が出場していることさえ知らなかった人も決して少なくなかったはず。恥ずかしながら私も同様のタイプで、ドイツに勝ったあたりから興味を持ち、最後は立派なにわかサポーターに変身し、連休中とはいえ人並みに寝不足になりました(笑)。彼女たちの快進撃は、月並みながら見事の一言で、久しぶりに明るいニュースを届けてくれました。今日はその興奮が覚めやらぬ中、朝から予算委員会で第2次補正予算案の審議が始まりました。なでしこジャパンの感想を問われ「彼女たちのあきらめない気持ちが全国民、被災者に本当の勇気を与えた」との菅総理の答弁に、また余計な誤解を生まなければいいと、余計な心配もしてしまいました。さて、本日大型の台風が四国で猛威を振るっており、明日も近畿地方が暴風雨圏に入るとの予報。お気をつけ下さい。18:20

2011年7月15日

本日、第2次補正予算案が国会に提出されました。予算案については、本会議で財務大臣が財政演説を行うことが慣例となっていますが、1度の国会で3度もの財政演説を行ったのは、おそらく野田佳彦大臣が新記録でしょう。原稿なしでの演説が野田大臣の真骨頂。しかし、原稿の内容自体を閣議決定していますから、財務大臣としては普通に朗読せざるをえません。予算案の規模は総額約2兆円で、その財源は2010年度の決算剰余金を充てることになります。内容は被災者支援の二重ローン対策、原発事故を受けての放射能対策、被災自治体への地方交付税が柱となっていて、被災地域の中で最も多いニーズを汲んだものです。この第2次補正予算の成立が、菅総理が示している「一定のメド」の条件の一つ。連休明けの火曜日から予算委員会での審議に入り、1週間後には野党各党の賛同も得て、早期成立の見通しも立っています。粛々と被災地のために、リセットのために持ち場で全力を尽くして参ります。それにしても、毎日暑いですね。くれぐれも熱中症にはお気をつけ下さい。15:20

2011年7月11日

週末には関東地方も梅雨明けしたとの報道。覚悟もって臨む特別に暑い夏がいよいよ本番を迎えます。ここ最近、朝の駅頭演説の時に感じることですが、クールビズの習慣が定着した昨今でも、お仕事の都合からかネクタイやジャケットを着用している方をしばしば見受けましたが、今年の夏は本当に少なくなりました。間違いなく1割以下でしょう。今、私の周辺で常にネクタイを着けているのは岡田幹事長のみ。その理由を聞いても、いつもはぐらかされてしまいますが…。さて、駅頭演説に関連して、もう一つ報告しておきましょう。目黒や世田谷の東京5区内にお住まいの有権者の皆様はすでにお気づきだと思いますが、私の政治活動ポスターが久しぶりに新デザインになりました。いつものように駅頭演説の際の写真を使っていますが、私の名前に負けないサイズで「継続、20年」というコピーを大きくアピール。まさに光陰矢の如しで、私の政治活動歴も来年で20年。つまり、石の上にも3年どころか、駅前に20年ともなれば少々自分を誉めてあげたくなり、字体も大きくなったのです(笑)。桃栗3年、柿8年、手塚の駅頭は20年。もう少し頑張ります。18:45

2011年7月8日

国会の会期延長を決めて以来、約2週間にわたって審議を拒否してきた自民党。審議復帰のために用意されたのが、昨日までの2日間衆参両院で開かれた予算委員会の集中審議でした。テレビ中継も入り、与党の理事席に座る私もだいぶ露出があったようで、各方面から反応がありました。また一昨日の夜は、私の後援会である「夜明けの会」の夕食会も開催され、いつもながら多くの支援者の皆様にお集まり頂きました。一昨年の国政復帰以来、夏は暑気払い、冬は忘年会を兼ねて夕食会形式で開催してきましたが、今回のゲストはこの会に皆勤参加の蓮舫さんと、党の筆頭副幹事長として日頃共に仕事をさせてもらっている長妻昭氏。支援者の皆様との対話を通じて、民主党にとっては逆風で厳しい世論が続きますが、変わらずご期待を頂いていることに感謝の思いで一杯になりました。同時に、皆様にお伝えしたいことの半分も言えないもどかしさも感じました。いずれにしても、たっぷり活力をお預かりした夜になりました。感謝です。9:30

2011年7月5日

岩手、宮城両県を訪問した際の発言が問題視されていた松本龍復興担当相が、先ほど菅総理に辞表を提出。退任会見では「松本龍は子どもたちのために、Never let me go 被災者とは離れない。被災地と離れることはない。粗にして野だが卑ではない。一兵卒として努力していきたい」と。城山三郎氏の名著のタイトルが胸にしみる味わい深いものでした。発言の一部を切り取り、繰り返し報じられれば、確かに軽率で舌足らずだったとのそしりは避けられないと思いますが、松本氏の人柄を知る者はもとより、一緒に復興に当たってきた両知事は一切腹を立ててはいないはず。これは断言できます。今回ばかりは暴走とも思えるメディア報道に私も辟易としました。ただ、そういう公器とどう付き合うか、どう活用するか、次の政権の大きな課題として勉強したいと思います。読んでいる記者の皆さんは皮肉と受け止めて下さって結構です。11:30

2011年7月2日

昨日の朝一番に受けた突然の訃報。自民党の都議だった樺山卓司氏、享年63歳。つい2ヵ月ほど前、下町で鶏鍋をつつきながら昔話に花を咲かせたばかりで、自殺の可能性との報道にはただただ困惑します。出会いは1993年。共に日本新党公認で都議会に初当選。樺山さんが48歳で私が26歳でした。経験豊富で面倒見のよい人で、駆け出しの青二才が政治のみならずあらゆることをご指導頂いた先輩都議でした。初当選から1年で日本新党が解党され、大半の都議仲間が小沢一郎氏率いる新進党に合流する中、私と樺山さんを含むたった4人だけが無所属改革連合を名乗る、家族のような少数会派を結成。樺山さんが幹事長、私が副幹事長を務めました。その後、私は菅さんや鳩山兄弟の旧民主党結党に参画し国政に。樺山さんは自民党に復党し、数少ない日本新党の生き残り都議となりました。そのことをからかった私に「うまいこといっちゃったよ」と舌を出したお茶目な顔が昨日のことのように思い出されます。政治家の物真似をさせたら政界一で、誰からも慕われた樺山さん。こうして独り言を書いている今も信じられません。哀悼の誠を捧げたいと思います。安らかに。合掌。

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