衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。
手塚の独り言
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月別アーカイブ: 2002年10月

2002年10月16日

あと一歩で三冠王を獲り損ねた松井選手について。打率でトップに立った福留選手は、凡退して打率が下がるのを防ぐために最後に数試合はほとんど打席に立ちませんでした。中日への批判の声を聞いて彼は「福留を批判するのは違うと思う。それぞれやり方が違うのは当たり前でしょ。俺にも気持ちがよくわかるんだ」と。建前でも負け惜しみでもない言葉だと思います。10年前の夏、甲子園で全打席敬遠の四球でも顔色ひとつ変えずに一塁に走った彼だからこその説得力です。阪神ファンの私でも応援したい若武者ですね。大リーグを目指すのでしょうか?9:00

2002年10月15日

北朝鮮による拉致被害者のうち生存が確認されていた5名が、今夕一時帰国しました。実に24年ぶりの父母や兄弟との再会。福井や新潟で何もわからず拉致され、孤独な異郷で辛酸をなめ、想像するに本音で語ることの難しい立場での帰国です。それぞれの失われた24年に思いをはせ、何とも胸が締め付けられる思いです。18日に召集される臨時国会では、朝鮮半島を巡る平和と安定に向けて取り組む日本の姿勢も盛り込みながらも、「拉致事件の解決なしに国交正常化はあり得ない」との原則を、衆議院本会議で国会決議するべく準備に入っています。18:20

2002年10月14日

今朝は目黒スポーツまつりの開会式に来賓として出席しました。ユニホームを着て張り切る野球少年たちの姿を見ていると、プロ野球選手なるのが夢だった自分自身の少年時代を思い出します。プロ野球といえば、我々が代表選を戦っている間に、セパ両リーグとも巨人と西武が圧倒的な強さでペナントレースを制し、今週末には日本シリーズも始まります。我が阪神タイガースは最下位を脱出しBクラスの優勝(4位)でシーズンを終えました。若い伸び盛りの選手も多く、来年への期待は高まるばかりです。プロ野球が終わると、冬はもうすぐそこですね。15:10

2002年10月13日

ノーベル平和賞を受賞したジミーカーター元米大統領は先月、ある新聞にブッシュ政権を批判する投書を寄せたと報道されています。「人権擁護で世界から尊敬されていた米国が、今や人権で攻撃される対象になってしまった」と。リベラル派の真骨頂に思えます。ノーベル賞委員会代表は「対イラク政策への批判と受け止めてもらいたい」と語り、武力によらない紛争解決を重んじる指導者が、今こそ必要だというメッセージを平和賞に込めたのでしょう。カーター氏は「名誉に感じると同時に謙虚な思いにかられる」と語りました。胸にしみる言葉です。15:10

2002年10月12日

来年で政治活動10周年を迎えますが、実は今日初めて後援会の皆様と日帰りバス旅行を企画しました。中央道で山梨方面へ。秋の行楽シーズンと重なり、行きは大渋滞に巻き込まれて大変でしたが、日頃から私の活動をお支え頂いている皆様と楽しい秋の一日を過ごすことが出来ました。忙しさにかまけて、今日に至るまですべての段取りを秘書の秦君らに任せきりでしたが、私以上に後援者の皆様に信頼されている様子を見て、何よりこの企画を実現して良かったと思っています。さて、明日は2ヵ月ぶりの完全オフです。ゆっくり休ませて頂きます。18:35

2002年10月11日

代表選では野田佳彦氏を支援したことで、私自身党内ではいわゆる「負け組」です。その後の人事でも多少の影響を受けるかと覚悟はしていたのですが、そこはさすが民主党、自民党のようなことはありませんでした。私もまもなく召集される臨時国会から、衆議院の国家基本政策常任委員会の理事に就任することになりました。これは本人もびっくりの大抜擢人事。なぜそんなことになったかまるでわかりませんが、感謝の気持ちを忘れず精進して参ります。それにしても不思議なこともあるものです。18:55

2002年10月10日

ノーベル物理学賞の小柴昌俊さんに続いて、科学賞でも田中耕一さんの受賞が決まり、2日続きの吉報でした。昨日、記者会見に現れた田中さんは「変人と言われながらも、常識にとらわれずやってきたことが報われた。学会で『ドクター』と紹介されることもあるが、私は『エンジニア』だと言っています」とのこと。企業で働く多くの技術者たちに夢を与える受賞でしょう。2000年になった途端、3年で4人というノーベル賞ラッシュ。またまた株価が下落して元気がない日本経済に、技術力で盛り返せというメッセージだと受けとめたいですね。10:30

2002年10月9日

今月18日の臨時国会召集を前に小泉内閣のブレが顕著になってきました。「予定通り」としていたペイオフ解禁は2年間延期。「やらない」としていた補正予算も編成を示唆。1年半前の政権発足時に掲げた旗印である「国債30兆円」は風前の灯になろうとしています。株価が9000円を割り込む異常事態とはいえ、総理がこだわってきた「財政健全化」という看板は事実上下ろされたと解釈するべきでしょう。不良債権処理を最優先課題とすることには異存がありませんが、政策転換を余儀なくされたのは、これまでの無策のツケであることは間違いありません。10:40

2002年10月8日

代表選後のゴタゴタで民主党に対する風当たりの厳しさを感じています。来年でちょうど10年目を迎える早朝の駅頭演説も、こんな時期は少しだけ気が重くなるものです。今朝は等々力駅で演説していると、小学生時代一緒にリトルリーグで野球をやっていた仲間で、現在は家業を継ぎ上野毛でラーメン屋を経営している結城君が自転車に乗って登場しました。マイクから口を離し「久しぶりだな」と声を掛けると「HP見てたら、等々力でやってるって書いてあったから」と朴訥に彼が。ありがたいですね。どんな時でも頑張る勇気を朝から頂いた気がします。10:00

2002年10月7日

昨日、目黒区長選が投開票され、現職の薬師寺氏が再選されました。投票率は26.99%。私が初当選した総選挙の約半分で、過去3回続いての20%台の低投票率です。少々の分析を加えれば、統一地方選から半年早く目黒区単独で行なわれていることや、各党が相乗りで推薦し事実上の信任投票になってしまっていることなどが挙げられます。それにしても低過ぎます。一方同時に行なわれた目黒区議補選では、この低投票率と民主党結党以来最大の逆風の中、応援した鴨志田リエさんが当選出来ました。ご支援に心から感謝申し上げます。正直ホッとしてます。12:35

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