衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。
手塚の独り言
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2002年9月8日

ここまでが本当に長かった代表選も、いよいよ明日告示となります。野田陣営もその準備に余念がありません。立候補に必要な推薦人名簿(代表選規定で20名以上25名以下の国会議員で構成)も確定しました。すでに50名近くの議員が支持を表明してくれていますが、その内の誰を推薦人にするかは以外と難しい選択なのです。この際、野田候補の主張も鑑み、年功序列を排し、他の陣営には絶対真似出来ない若々しいものとしました。恐らくその平均年齢は30台となるでしょう。年齢といえば、今週は私のバースディウィーク。36歳。まだまだ若輩です。15:45

2002年9月7日

週明けに代表選が告示されます。今日はそれぞれの候補が何を一番のセールスポイントにするか整理してみましょう。まず鳩山氏。党内の推薦議員数で優位に立っていることを背景に「民主党をまとめられるのは自分しかいない」でしょう。一方、世論調査の数値で他の候補を凌駕している菅氏は「自民党との対決で最も攻撃力があるのは自分だ」と訴えるでしょう。独自の戦いの横路氏は省略。失礼。そこで野田氏。日本に40台の新しいリーダーが誕生することの意義を示し「世代交代、脱旧党派、そして政権奪取への覚悟」を力強く訴えます。ご期待下さい。16:35

2002年9月6日

自民党公認で国会を目指している大学時代の先輩から電話があり「何とか鳩山さんのままにしておいてよ(笑)」とのこと。どうやら自民党の中でも、野田佳彦氏への恐怖感が広がっている模様です。昨年の参院選で150万票を獲得してトップ当選した自民党の桝添要一氏も、ある週刊誌で「鳩山氏か菅氏が勝てば、自民党は当面安泰だ。しかし、野田君が代表になったら自民党政権は崩壊する。彼はまだ知名度が低いけれど、能力があって人望も厚い。故松下幸之助氏が一番期待していた男だ」と語っています。段々と望んでいた流れが出来つつあります。13:40

2002年9月5日

長野の田中康夫知事の再選。小泉総理の北朝鮮訪問。バブル後の最安値を更新した株価など、世間を揺るがす大ニュースにも脇目を触れず、このところは次の日本の宰相候補を探す旅日記ばかりを独りごちてきました。野田佳彦氏との歩みは、それほど私自身を夢中にさせ、この人なら必ず現状の日本の閉塞感を打破出来るという手応えを感じさせてくれています。いよいよ来週の月曜が代表選の告示になります。決してブレることのない強い強い覚悟を持つ野田氏を、まずは多くの方々が認知をして頂けるよう全力投球していきます。寝不足がどうした!23:25

2002年9月4日

今から25年前、長野県諏訪中央病院の医師が刑務所に入ることになりました。東大闘争のリーダーで、最後まで安田講堂に立てこもって逮捕起訴され、裁判で実刑が確定したからです。その際、職員一同が玄関で見送ったといいます。この服役した医師とは9/1に癌のため62歳で亡くなった民主党の今井澄参議院議員です。氏が今年になって出版した著者では「連帯を求めて孤立を恐れず。力尽きて倒れることを辞さないが、力尽くさずして倒れることを拒否する」と結ばれています。今井先生は、この民主党代表選をどのように見ているのでしょうか?8:05

2002年9月3日

今日も本当に忙しい一日でした。毎日、独り言を書く時間をみつけるのも大変です。今宵もタイムオーバーのようです。あしからず。23:45

2002年9月2日

準決勝突破です。野田佳彦氏が代表選の若手統一候補に決定しました。高いハードルを越えることが出来ました。感極まり、独り言になっていないことをお許し下さい。これから記者会見です。18:35

2002年9月1日

この週末は披露宴出席、地元の区議との懇談、秋季体育大会や防災訓練などの行政の主催行事にも参加するかたわら、代表選関連の会合も重なり大忙しでした。週末に疲れを蓄積するという悪循環です。手塚事務所のスタッフも運転手や、私の代理出席、ポスター貼りに精を出してくれています。ご苦労さま。ここで突然ゴルフの話。最終日を迎えたKBCオーガスタトーナメントで、怪我やスランプに苦しでいた湯原信光選手が、実に10年ぶりのツアー優勝。45歳、涙の復活劇でした。45歳といえば野田佳彦氏。こちらは、若すぎるとも言われる一大決心。人生色々ですね。18:50

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