衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。
手塚の独り言
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月別アーカイブ: 2002年9月

2002年9月19日

今日は爽やかな秋晴れの1日。しかしながら、どうしても気分は晴れません。北朝鮮に拉致され、すでに亡くなったとされる8名の被害者の死亡した日が報道で明らかになりました。いずれも20〜30台の若さで命を落としています。これで死因を病気や災害と言われても、到底納得出来るわけがありません。また、もったいぶるように情報を小出しにする政府の対応にも疑問を感じています。政治に課せられた役割は、言うまでもなく情報公開と説明責任です。次の政府の対応を、我々野党のみならず、国民世論がしっかりと注視していることでしょう。21:30

2002年9月18日

昨日は、衝撃的な日朝首脳会談を受け、拉致被害者のご家族が衆議院第1議員会館で会見をされていました。大量のマスコミ取材陣が囲む中で、騒然とした空気が一帯を支配していました。代表選も中盤ですが、陣営内がある意味で内向きな議論をしているのではないかと、何とも空虚な気持ちにさせられました。私自身のこの件に関する感想は、今日付けの「手塚日記」に書かせて頂きましたので、代表選に関する独り言ばかりだとお嘆き方のみならず、ご覧頂ければ幸いです。20:00

2002年9月17日

めっきり涼しくなり秋を実感します。昨晩は気がつくと日付が変わっていて、この独り言を書きそこねました。激しい選挙戦の最中のことで、どうかご容赦を。さて、今朝は私が駅頭演説に出発するより早く小泉総理が北朝鮮に向け旅立ちました。ベールに包まれた近くて遠い国と初の首脳会談。日本人拉致問題がどの程度進展するか、国民の関心も集中し民主党代表選どころではありません。しかし、外交上手といわれる北朝鮮を相手に過度の期待は禁物です。小泉総理お得意のパフォーマンスに終わらぬよう、我々も厳しい目でチェックしたいと思います。9:50

2002年9月15日

今日は敬老の日。私にとって毎年誕生日の翌日は祝日と決まっていましたが、来年からは9月の第3月曜に変わります。昨年母方の祖母が他界し、私が「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼べる肉親はすでにこの世にいなくなってしまっています。実母にしても還暦を迎えてまだ日が浅く、母の日や誕生日ならともかく、敬老の意味で感謝の気持ちを表わすのは少しはばかられる気がします。しかし、母も毎日この独り言を楽しみにしてくれているようですから、この場をお借りして、母の不老長寿を祈りつつ、野田候補への投票をお願いしたいと思います。12:25

2002年9月14日

この代表選の期間は2週間。4候補は共同立会演説会の開催に合わせて、北は札幌から南は博多まで全国を飛び回っています。さて、充実した時間の中で私も36歳になりました。誕生日といってもさすがに特別な1日との印象はありませんが、嬉しいことに、東は埼玉から西は大阪まで全国とは言えないまでも、たくさんの人から「おめでとうメール」を頂戴しました。有難うございます。明日は朝9時からNHKの「日曜討論」に4候補が揃って出演です。野田陣営も中盤の山場ととらえ、今夜は候補を交えての戦略会議。素敵なバースディナイトの予感です。17:55

2002年9月13日

小林雅英という名をご存じでしょうか?大魔神といえば大リーグで活躍する佐々木投手。横浜時代に彼が打ち立てた22試合連続セーブポイントの記録を塗り替え、新記録更新中のロッテの守護神こそ小林投手です。1球でチームの勝ち星を奪いかねない重圧のかかる場面で、全くといっていいほど打たれていない投手なのです。野球博士の私に言わせれば、これは物凄い記録。地味ながら胸ときめく投手の出現です。地味といえばあの人。決してブレない信念、その厚い人望、そして胸が熱くなるほどの言霊を投げかける野田佳彦氏。代表選もいよいよ中盤です。13:55

2002年9月12日

日本のメディアの米国批判が目立っています。確かに、イラク制裁を意図する米国のやり方には一国主義的な傲慢さもあり、国際社会の同意を得るための努力も十分とはいえないでしょう。無敵と信じていた自国があっけなく襲撃されたショック。その恐怖と不安から、米国民はそれを跳ね返すかのように反テロ戦争突入を圧倒的に支持しています。今こそ我が国は、米国民が受けた深い傷の痛みに共鳴し、友人の立場で米国に国際協調の必要性を説くべきだと思います。それが真の同盟国の役割のはず。東京に戻る新幹線の中で、しみじみと感じています。11:10

2002年9月11日

「9.11」世界を震撼させた米国テロから1年。誰もが、あの日あの時どこで何をしていたか思い出さずにはいられない1日です。私といえば、秋の臨時国会に備え同僚議員と懇談し「では、帰りに一杯」と、珍しくも上野周辺に居たことを記憶しています。「大変なことになっている!」との電話が相次ぎ、親友の大谷信盛代議士が外遊でワシントン行っていたので、その安否を心配し、自宅に戻ってからは、朝までテレビにかぶりつき、徹夜で駅頭演説。ただただ争いのない世界を祈りつつ、今日は代表選で野田候補に随行して京都に向かっています。合掌。10:00

2002年9月10日

今日は手塚事務所の近況です。まずは第1秘書の伊藤君。野田氏支援議員各事務所の秘書を集って構成されている野田選対事務局の中核メンバーとして、怒濤の寝不足を乗り越え縦横不尽の活躍をしてくれています。第2秘書の松田君は元プロのドライバー。野田候補の信頼も厚く運転手として朝から晩まで、文字通り走り回っています。次に政策担当秘書の岡本さん。そうした訳で人手不足のピンチにあって、私の駅頭演説で慣れないビラまきまでしてくれています。とにかく、私をはじめ7名のインターン生までもが、野田氏の秘書の如くの働きぶりです。21:25

2002年9月9日

民主党代表選の火ぶたが切られ、共同記者会見を終えた4候補はさっそく街中へ。最初の立合演説会は雨の西新宿。駅前を埋め尽くした応援団の大半は野田陣営。「WHO IS NODA? THIS IS NODA」と書かれたプラカードが無数に踊りました。街宣車の上から、3候補の後にマイクを握った野田候補も、さぞ勇気づけられたことでしょう。今から2年数か月前、私が初当選させて頂いた衆院選の最終日、あの日も雨が降る自由が丘の駅頭でした。1000人以上の方々にご声援頂き、感慨無量になった時のことを思い出しました。代表選は今日がスタート。頑張ります。22:15

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