「永田のそばで手伝ってやってくれないか」と、私が敬愛する野田佳彦国対委員長(当時)から電話があったのが3年前の2月のこと。私は総選挙で苦杯を舐め、浪人生活が半年になろうとしていた時のことでした。世間を騒がせたあのメール騒動でしたが、少し意気に感じ永田君と昼夜をともにしました。彼のマインドコントロールをとくことが私の役割で、押し寄せるメディアの波をかき分け、民主党のダメージを最小限にとどめようと、それはそれはしんどい1ヵ月間でした。政治から足を洗った彼は、実業の世界に身を転じ「官僚・政治家・実業家のすべてを経験した人間はいないはず。成功してヨッシーをバックアップするよ」と、懲りずにホラも吹いていたことも思い出されます。しかし、貼られたレッテルの大きさに打ち拉がれた日々だったのでしょう。今は、もっと私にできることはなかったか、自問自答するしかすべはありません。永田寿康君の冥福を祈りたいと思います。合掌。22:00