1993年10月28日深夜、ワールドカップアジア地区最終予選の対イラク戦。1点リードの日本、ラストワンプレーと思われたコーナーキックが、イラク選手のヘディングによって緩やかな弧を描いてゴール左下隅に突き刺さる。日本が念願のワールドカップ初出場を土壇場で逃した瞬間で、これがいわゆる「ドーハの悲劇」です。今から12年前のことで、細川連立政権が誕生した年であり、都議選で初当選した私が政治家としての第1歩を踏み出した年でもあります。4年に1度は、ワールドカップも都議選も同じ巡り合わせ。この夏の戦いに向け、私自身も民主党の責任者として準備に余念がありません。ワールドカップ出場に向けて、決して負けられないバーレーン戦、今夜キックオフです。14:20