法政大学野球部の花形選手として活躍、一時は俳優を目指すも、読売新聞の記者として終戦をむかえ、戦後、目黒の自由が丘の地に映画館をつくり大繁盛。ダービー馬の馬主にもなった私の祖父。競馬場に行かない休みの日には孫とキャッチボールもしてくれる、本当に優しい人でした。生前「よしおに事業を継承してもらいたいけど、それ以上に世の中に貢献できる人間になってもらいたいんだ」と。ひょっとすると、私が初めて政治を意識するきっかけの言葉だったかもしれません。今日1月30日、祖父の18回目の命日を感謝の気持ちで迎えています。合掌。11:35