連日の酷暑が落ち着き、早くも秋の風が吹き始めました。尾山台駅前商店街でチラシを配りながら、夕日に照らされている西の空を見て、もうこんな季節なのかと移り変わりを実感しています。
9月に入り、政局報道が一層と賑やかになり、一夜にしてまったく正反対とも言えるニュースが速報として飛び交っています。いまだにその頂の全容はどことなく不明瞭ながらも、今まで靄がかかって朧げだった天王山が、うっすらと輪郭を持って目の前に現れてきています。初めて視界に入ってきたその姿は、畏れ多くも私の胸の心臓あたりをじんわりと熱く高ぶらせています。
私はこの政治の世界に入り、19年夏の参院選、20年春の目黒区長選、21年夏の都議選と多くの山を登らせていただきました。何ひとつとっても同じではありませんでしたが、どれも困難で、全身全霊をかけることで初めてその先の景色を望めることが叶いました。
そして、21年秋の総選挙。朝晩はほんのり肌寒く感じるこの季節、絶好の陽気です。腕を出し、声を出し、脚を出し、確かな覚悟を持ちながら、まだ見ぬ日の出を求めて、歩を進めています。さあ、いよいよ本番です。
さて、1年前の秘書日記に「目の前のことに真剣に取り組めない人間に未来はない」と書き記しました。その考えに、今もこれからも変わりはありません。もちろんこの総選挙でも自分が出来る全てを出し切るつもりですし、たとえ挫いたとしても、地を這って登り続ける覚悟です。
ただ、時に足を止め、自分が歩いている道が正しいのかと悩む瞬間があります。
それは歩みをやめたから悩むのか、悩むから足を止めるのかは分かりません。登る前の山は、尾根や輪郭、頂上まで見えるものです。だからこそ目の前にある道を一生懸命歩いていれば、自分の思い描く場所に辿りつけるとなんとなく思います。しかし、中腹に入り、木々の形、花の色、石の大きさが分かるようになると全体が見えなくなり、宿望の地へ辿りつけるのかと不安に支配されます。この道は違う山へと続いているのではないか、登る速さが遅すぎるのではないか、いつか滑落をしてしまうのではないかと。手が止まり、脚が止まり、思考が止まります。
普段は1の問いに対して3を返すようにしている自分ですが、3どころか、 1さえも返せなくなります。水分補給もままならなくなり、一緒に登っている方々への気遣いさえもなくなり、なんとか取り繕うと口だけで脚はもう動きません。
立ち止まって息を吐き、偶さかに木々の合間から見える空を見上げて思います。海千山千越えてきた先人達も悩みや葛藤、恐れを抱きながらこして歩いていたのだろうかと。
そもそも私なんか、まだ悩む権利もないのかもしれません。パーティーに同行させて頂いているだけで、望外の幸せで万謝の想いです。
ただ確かなのは、先は見えずとも、不安を抱きながらも、歩みを止めず、目の前のことに真剣に取り組む、今はただそれだけです。
今、眼前には秋の大山が鎮座しています。一歩、また一歩と頂を目指して土を踏みしめる、この先に道が続いていると信じて。