衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2003年12月8日 「待機、待機、そして待機」宮川光二

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 首からぶら下げた携帯電話、通行証、ラフなシャツ、ポケットの多いベストにスニーカー。これが、私の総選挙期間中のスタイルでした。そばに、同じような格好をした元インターン生の井桁君を従えて。
 街頭演説をする手塚にとって強力な武器となった民進党のマニフェストや、手塚独自のビラなどを、我々2人は選挙期間中に一度も配ることがありませんでした。駅頭を鮮やかに青く染めた「Manifesto24」と入ったスタッフジャンパーに袖を通すことも一切ありませんでした。
 もちろん、サボって遊んでいたわけではありません。毎日毎日肩こりに悩まされながら、手塚の演説を一番近くで聞いていました。脚立に立ったり、座ったりしながら。一体何をしていたんだと疑問に思われるでしょう。実は、手塚の密着カメラマンをやっていたのです。テレビ局顔負けの大きなテレビカメラを担ぎ、手を伸ばせば届くような距離で手塚にレンズを向けていました。井桁君もプロ仕様の照明とバッテリーを抱えて。
 またまた、疑問に思われるでしょう。何のために服装まで本物っぽくしたのかと。実は、このカメラと照明は選挙戦の様子を記録をしているだけではないのです。有権者の視線を手塚に引き付けるという、大プロジェクトの一環だったのです。前回の選挙でも威力を発揮したこの作戦、今回も大成功でしたが、たったひとつ問題が発生しました。前回とは違い、選挙期間中の半分近くは本物のテレビ局が取材に来ていたのです。プロの取材クルーが来るとなれば、当然私達即席カメラマンは待機になってしまうのです。
 初めてプロの取材クルーと一緒になった時には、ただただその迫力に圧倒されてしまいました。このままではいけないとプロの服装、立ち振る舞いを研究、スタッフが寝静まった夜中に渋谷まで買い出しを決行、その結果、冒頭書いたようなスタイルが徐々に出来上がっていったのです。
 選挙戦も中盤を過ぎた頃には、もうすっかりプロのカメラマン気分。駅の乗降客の視線を集め、密かな快感を感じていました。駅でたまたま会った支持者の方にも
「本物のテレビ局が撮影に来てるのかと思ったよ」
と、お声を掛けて頂けるようになっていました。
 最終日、いつも以上に気合いを入れてカメラを担ぎ、自由が丘に向かった私の目に飛び込んできたのは、数台のカメラ、20人以上の取材陣でした。当然ながら、我々の役割は待機。その後も行く先々にテレビ局のカメラマンが待ち伏せているのです。
 手塚が注目され取材が増えることは嬉しいのですが、気合いを入れて衣装を揃えた我々は複雑な心境でした。選挙中に親しくなったNHKの記者の方には
「本物っぽくなってきたよ」
と慰めて頂き、救われた思いでした。
 そして、開票日に手塚に当確が打たれ、各局のテレビカメラが事務所に来た時も、我々は共に万歳を出来ずに、やはり待機でした。

秘書日記

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