衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2004年12月27日 「今年もお疲れさまでした」井上裕美子

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 今年の手塚よしお事務所、手塚自身の選挙は無かったのですが、やはり、というべきか選挙に始まり、選挙に終わった1年でした。
 誰一人として、予測はおろか予感、予兆さえも感じていなかった激動の2004年の幕開けはまだ風の冷たい3月、薬師寺前目黒区長の突然の逝去に伴う目黒区長選挙でした。
 青木現区長が都議を辞し、出馬を決意、勝利するまでのあまりにも濃密度な2ヶ月の戦いは何卒手塚日記、内野席、秘書日記などバックナンバーでご覧ください。結果として民進党単独推薦の区長が生まれ、国会議員、区長、区議会議員の布陣で臨む民進党の目黒地盤は今や金城湯池と囁かれるほど強固な構えとなりました。
 後に触れますが、この区長選挙は伊藤悠目黒区議に新たな挑戦の場を選ばせる結果ともなります。
 また、区長選挙と平行して夏の参議院選挙の準備が着実に進められておりました。時は2003年秋、衆議院選挙直後に遡ります。手塚は秘書や支持者の皆様が大勝利の喜びに浸りきっている中、既に次の戦いを目しておりました。参議院選挙東京選挙区。議席は4つ。欲しい議席は過半数の2。現職の小川敏夫議員の公認は既定。もう一人候補者を立てなければ波の静かな確実な勝利、しかし民進党東京選対委員長の手塚にとっては勝利ではありません。必ず、何に代えても2議席を確保するという手塚の首尾一貫した主張と手塚の選んだ候補者は、2人公認を渋る他の都連幹部を説得しうるに十分でした。東京選挙区での素晴らしい勝利、公明党に勝るとも劣らないほど見事に割れた得票は手塚の手腕の賜物でもあるといえるでしょう。
 小川敏夫、蓮舫両参議院議員の誕生は、自ら望むか望まないかに関わらず選対委員長からより重責の幹事長へと手塚を押し上げることになります。9月の都連大会、手塚よしお民進党東京都連幹事長が産声をあげ、同時に2005年の都議会議員選挙の責任者としての第一歩を踏み出しました。
 都議会議員選挙。地元にばかり目を向けている訳にはいかない幹事長ですが、まず世田谷区の公認候補3名を速やかに配します。次いで、青木区長の都議辞職により空席だった目黒区の候補者選定は、一切の偏向の無い予備選挙を行うことで決着を得ました。ここに伊藤悠区議の新たな挑戦が始まりました。
 手塚の鮮やかな活躍を支えた秘書の1年もまた激しい川の流れのようでした。いくつもの選挙への応援・出向。手塚の信頼があってこその任ですが、地元の選挙とはやはり疲労度も違うようです。東京中を蓮舫さんを乗せくまなく走り回った秘書もいれば、遥か沖縄は首里で南国の選挙を経験した秘書もいます。出藍の誉れなんて口が裂けても言えない秘書陣ですが各々が各々の今年の責を反芻・反省し、新たな目標に向かっております。
 昨年の衆議院選挙以来、手塚の抜群のバランス感覚、そして時節を見極めるというよりは、既知の事実であるような瞬時の判断力が一挙に花開いたような結果を多々残すことが出来ました。絡まりきったように見えた幾つもの糸は手塚という針により東京の新たな政治地図という織物へと姿を変えました。とはいえ天狗になるではなく、誰に対しても、真摯であること、誠実であること、その政治姿勢に変遷はありません。
 ちょっと誉めすぎでしょうか?
 手塚が嫌がるのは重々承知ですが、今年最後ですし、賞与と思って秘書にも手塚と手塚の側で働けることを誇らせてください。
 重責であればあるほど水を得た魚のような手塚の政治にどうぞ来年もご期待ください。至らない秘書一同も宜しくご指導下さいますようお願い申し上げます。

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