衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2003年3月3日 「ヘナチョコ最後の秘書日記」軸屋貴久

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 米国のイラク攻撃の可能性、統一地方選、そしてその向こう側の衆院選と刻々と変化する国内外、事務所内外の情勢を尻目に、ヘナチョコはまったく個人的な思い出に浸っております。
 大学1年の時「政治に興味あるんだ」という変人が同級生にいました。危ない人だと思い、なるべく目を合わせないようにしていたのですが、運命のいたずらとは素晴らしいもので、手塚学校の入学手続きをしてくれたのが彼でした。現在は手塚の公設第1秘書を務めつつ、目黒区議会を目指す伊藤悠君であります。
 最近は公共の駅でマイク片手に独り言をつぶやくようになってしまいましたが、もともとはそれほど変人ではありません。マイク片手の独り言が、いつの日か彼の、ヘナチョコの、スタッフ一同の人生を変えた手塚の駅頭にまで脱皮できるのはいつの日のことでしょうか。
 話がそれましたが、ヘナチョコが初めて手塚のポスターを貼った1999年冬のこと。営業中のラーメン屋に許可を求めるだけでひどく気後れしました。今では家のたたずまいで何となく貼れるかどうかがわかるようにもなっちゃってます。
 器材隊長を拝命した2000年総選挙、演説用のマイクを紛失した時は首を吊ろうかと思いました。今でも奴は元気に手塚の声をお届けしています。それから何の知識もないまま、このホームページの担当者になりました。今でも素人ですが、新担当者の秦君が更に充実させてくれることを期待してやみません。
 さらに裏口入学、一芸入試と優秀な後輩も次々手塚学校に加わるにつけ、事務所は華やかに、意気軒昂になり現在に至ります。
 ヘナチョコにとって手塚学校の生徒としては最後の駅頭の手伝いを終えたところです。あいにくの雨でビラも配れず、今際の際までまったくのヘナチョコぶりでございました。ポスター貼りの孤独を共にした長らくの相棒であるスバル・ビビオ君が「さんざん人の顔へこませてきて、自分だけ卒業なのですか?」と雨に濡れた目で見ておりますが、泣いてくれるなビビオ君、花に嵐のたとえもあるさ…。
 結局7年在籍した大学で何を学んだのかよくわかりませんが、手塚学校では実に多くを学ばせてもらえたヘナチョコでございます。事務所内外の皆様、本当にありがとうございました。これからもご指導下さい。普通の女の子にはなれませんが、まっとうな社会人を目指して手塚学校を卒業いたします。

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