衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2005年1月4日 「謹賀新年」橘 秀樹

 新年明けまして、おめでとうございます。本年より手塚よしお事務所の仲間入りをすることになりました、橘秀樹です。
「残念ながら老いてゆくこれからの日本や地域社会をより良く変えるため、政治の場で何か自分の役割を果たしたい!」
そう無鉄砲に会社を退職してから約半年。これといって頼る所もないまま、これが自分の性格なのか?そういえば自己責任という言葉が流行っていたなぁ、と自問自答しながら一向に出口の見えないトンネルを彷徨い続けていた時のことでした。
 時間に余裕のできた今のうちに様々な勉強をしようと自由が丘のとある勉強会に参加する途中、そのポスターは貼ってあったのです。
「民進党は候補者を募集します」
 いったいどれほどの人達が応募し、どんな人物が候補者となってゆくのだろう?自分には土台無理な、関係のないこと。冷やかに感じたのが第一印象でした。しかし、あの黒地に黄色の文字のポスターが何故かいつまでたっても頭から離れません。一方で自分のおかれた状況は一向に進展せず、とうとう万策尽きたある日のこと
「だめでもいいから挑戦してみよう」
そう腹をくくり、自分のすべてを書き綴った履歴書を目黒は五本木にある手塚事務所に持参したのです。
 扉を開け事務所の中に入ったとたん、何だか自由な空気を感じました。何かに縛られることもなく、自主性が尊重されるような雰囲気を秘書の方々が醸し出していたのです。もし自分が挑戦することを許され、スタッフとして仕事をしながら地元の諸事情について勉強をさせてもらえるならば、こんな事務所で働きたいと、直感で思いました。とは言っても自分が採用されるかどうかはわかりません。先にも書いたように、半分無理と承知で応募したので、心の中では期待していませんでした。ところがその翌日、携帯電話に連絡があったのです。
「代議士が面接させて頂きたいのですが」
 議員会館の中村秘書からの連絡でした。目の前がさーっと開けたように感じました。それから面接までの約1週間、何をしていたのか記憶は定かではありません。しかし肝に銘じていたことがありました。
「どんなに背伸びをしても、自分がどんな人間かは必ず見極められてしまう。等身大の自分自身で面接に臨もう」
と。面接当日、正直言って何を話したか覚えていないほど緊張していました。しかし、手塚代議士の私から何かを引き出そうとする、時に厳しく時に暖かいその眼差しだけは今でもくっきりと私の頭に刻み込まれています。
 結果はその5日後、手塚代議士と夕食を共にするという形で知らされました。
「これから一緒に頑張ろう」
その瞬間、私も事務所スタッフと全く同様、代議士の分け隔てなく人と接する人柄と政治に対する姿勢に、つまりは手塚よしおという人間に惚れてしまったことを悟りました。同時に共に挑戦続ける同志であることも確信しました。
 会社を辞め、すべてを投げ打ってきてのことです。地域社会が本当の意味で豊かに、そして魅力あるものになるよう、これから自分の命を使いたいと思います。
 皆様、ご指導のほど宜しくお願いします。

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