衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2009年8月4日「とみかわともこのマニフェスト」富川知子

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 目まぐるしく嵐のように過ぎ去った2週間でした。
「じゃあ富川さん、明日はポスターの写真撮影だから、今夜は飲み過ぎないようにして下さいね。顔がむくみますから」
「あ、はい。気を付けます」
「明後日は党本部に行って記者会見があるから、話すこと考えておいて下さいね。菅直人代表代行も来ますからね」
「え、記者会見!?」
「前回の区議選のご縁で、国民新党からの推薦を頂きましたよ。つきましては、関係者の皆様にお集まり頂いて個人演説会を開催します。会場もセットしましたから」
「こ、コジンエンゼツカイ…。って演説する会ですよね」
「…。」
 あれよあれよと決まっていく周りのスピードについていくのがやっとで、目の前に降りかかる重責に押し潰されそうな思いでした。
 人生初の記者会見を目前に失神寸前であった私は、菅直人代表代行との握手も上の空。名前を呼ばれ、テレビではよく目にしたことのある「国民の生活が第一」と書かれた会見ボードの前に立ち、100人はいたであろう記者団を前にした時は、自分でも血の気がスーッと引いていくのがわかりました。ちょうど最近始めた加圧トレーニングのベルトを締めた時の感覚にも似ていました。
 カラオケ以外では2年ぶりに持つそのマイクはずっしりと重く、その手は震え、声は上擦っていました。
 そのあとの記憶は、あまりありません…。記者会見後の記憶だけでなく、2週間の記憶そのものが、未だに整理できていない状況です。
 考えてみれば、民進党が都議会の第1党を目指し、東京都全体で議員定数の過半数を擁立するという方針の下、急遽決まった立候補でした。準備も至らず、またしてもあと一歩及ばずで、応援して下さった方々には大変申し訳ない思いでいっぱいです。
 私の名前を書いてくださった16,058人の目黒区民の皆様へ感謝するとともに、お詫びを申し上げます。
 また、実名は挙げられませんが、様々な制約の中、影で支えてくれた皆様にもこの場をお借りして深く御礼申し上げます。
 しかしながら、この定数3人の事実上の無風区・目黒選挙区に緊張感を与えることができたのは事実。目黒区は、前回から12%以上アップの投票率52.25%を記録しました。この貴重な16,058票という数字の重さを噛みしめつつ、また、無駄にすることなく、次の新たなステップへとしていきたいと思います。
 さて、待ちに待った総選挙も、残すところ1ヶ月を切りました。いよいよ国民の審判が下される時。
 連日マスコミでも取り上げられているマニフェストは、事務所へ取りに来てくれる有権者が後をたたず、冊子が到着した瞬間から飛ぶようになくなっていきます。総選挙の前哨戦であった都議選での大躍進を見ても、いかに多くの国民が民進党に期待し、政権交代を望んでいるかを日々実感させられます。
 今日初めて事務所に足を踏み入れたひよっこインターン生も、都議会・区議会のバッジを着けた若手議員も、みーんな仲良く440(=よしお)とプリントされた民進党レッドのポロシャツを身に纏い、一丸となって戦っています。
 私も秘書として、またひとりの女性として、政権交代実現の一翼を担っていきたいと思います。
 世界で一番暑い決着の夏を目指して。
 手塚よしおの復活を、私の新たなマニフェストとさせて頂き、元候補者・秘書・とみかわともこ(30歳)の挑戦は続く…。

秘書日記

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