衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2005年7月18日 「雨のち晴れ」蓮 孝道

7月3日 深夜
 季節柄なのか、ほほをつたう雨は熱く止めどもなかった。雨の世田谷。人もまばらになった事務所の中、候補者と2人、肩を震わせお互いを励ましあった。忘れることのできない痛恨の記憶。
7月4日 正午
 実質2ヶ月以上に及んだ都議選の疲れが、堰を切ったように弛緩した身体と脳にのしかかっている。頭の芯をどこかに忘れてきたかのような浮遊感の中、独り羽田空港のターミナルにいた。手に握り締めたチケットの目的地は“那覇”。
7月3日首都決戦終結の日。
 南国沖縄では、県都那覇市の未来を窺う市議会議員選挙が告示されていた。この「秘書日記」を愛読して下さっている皆様にはご記憶に留めて頂いているだろうか、半年前に那覇市議会議員補欠選挙で当選した上里ただし氏の2期目への挑戦が幕を開けたのだ(2004年11月22日「古の王都滞在記」参照)。
 すでに真夏の那覇空港に降り立ち、携帯の電源を入れるとメッセージが1件。
「蓮君ですか~?お疲れ様です~。着いたら見栄橋駅のダイエーまで行って下さい。上里さんが待っとるで~」
懐かしい声は、半年前に共に戦った仲間、当時の事務局長だった仙石由人民進党政調会長秘書の吉坂さんだった。今回は選対本部長として全体指揮を執っているそうだ。軽快な関西弁で指示された先は、車社会沖縄唯一のモノレール路線の駅名。
 モノレールを降りると南国の日差しが容赦なく肌を刺してきた。真っ白な日差しの先に、真っ黒に日焼けした小さな男が微笑んでいた。
「蓮君!また頼むよ!早く街宣車に乗って!」
そう言って自転車にまたがったのは、上里ただし候補者本人だ。
 休むまもなく遊説に引っ張り出された私は、上里さんの乗る自転車の後ろからマイクを持って応援をする。半年前の記憶が蘇る。あの時も上里さんは自転車に乗っての遊説をしていた。有権者の皆さんとの対話によって新しい那覇市を創るために。しかし、今回は半年前の比でないくらい暑い。梅雨の明けた那覇は気温にしてプラス10度。それに容赦ない日差しが加わるので、自転車に乗り続けることは冗談ではなく死を意味する。我々スタッフに課された使命は上里さんを当選させると共に、上里さんに無事選挙戦を乗り切らせること。赤信号の度にスポーツドリンクを補給させ、うなじには手塚よしお直伝の“冷えぴたクール”を貼り付ける。
 さらに上里さんを苦しめたのは那覇の地形。琉球王朝の王都「首里」は高台に城を築いた。つまり、那覇市は坂が多い。しかも半端な坂ではない。自転車が坂に差し掛かるたびに、
「上里頑張れ!負けるな!ただし!この坂の上には那覇の未来が待っている!」
本来政策を宣伝するためにある街宣車は、完全に上里応援車になっている…。
 たとえ他候補からパフォーマンスと呼ばれても、熱中症でフラフラになろうとも、期間中、上里さんが街宣車に乗ることは決してなかった。路肩で手を振ってくれる方があれば自転車を降りて、丁寧に握手をし、人が集まるスーパーがあれば、マイクを握って政策を訴える。
 そんな真摯な上里さんの姿に、私の気負いも数日を経ず解消された。上里ただしの下に集まったスタッフの思いは一つ。「もう一度、上里ただしを市政に」
7月10日 11:10
「上里ただし。当選確実」
 待ちに待った瞬間。割れんばかりの歓声の中。吉坂さんが私の手を取った。
「お疲れ様。蓮君も今晩はいい酒が飲めるね」
涙が出そうになった。思えば1週間前には悔し涙でほほを濡らしての開票速報だったが、今夜は笑顔と口笛の中。上里さんは支援者の輪の中でエイサーを踊っている。私は涙を飲み込み、笑顔で輪の中へと踊り込んだ。
 雨のち晴れ。この2週間、東京から沖縄はまさにそんな空模様。同時に大変密度の高い日々だった。
 経験が人を育てるというが、若輩の私に様々な場面で叱咤激励し、経験を与えてくれる手塚よしお代議士に、読者の皆さんの前ではあるが感謝をしたい。
 ありがとうございます!手塚代議士!そして、次は仙台で!溢れんばかりの気合いで候補を応援して参ります!

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