衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2019年10月3日「世界の可能性を拓く」細貝 悠

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「はじめまして!この度、手塚よしおの秘書になりました細貝悠です!」
と毎日のように口にしています。
 改めまして、大学をこの3月に卒業し、この夏から手塚事務所の秘書として研鑽を積んでいる細貝悠と申します。八王子市生まれ、早稲田大学社会科学部卒の26歳です。手塚と同学ですが、入学するのと卒業するまでに人よりも3年多く勉強させて頂きました。
 6年間の大学時代には、天下の早大探検部で幹事長を務め、インドネシアで100m以上の縦穴洞窟をロープ一本での昇降したり、アフリカのナイル河源流を探しにルワンダ政府と折衝を重ねたりと、世界各地の秘境を探求してきました。
 幼稚園から高校までサッカーひと筋の生活でしたが、何故大学では「探検」という現代では聞くこともないような摩訶不思議な世界に入ったかというと、実に単純です。入学したての1年生の時、数多ある部活やサークルの勧誘チラシの中で、唯一探検部のチラシに魅了させられたのです。そこにはただ一言「世界の可能性を拓け」とだけ書かれており、この言葉に惹かれて入部を即断しました。現役時代には探検とは何か、世界の可能性を拓くには等、毎夜侃々諤々の議論を交わしていました。
 しかしいつしかからか、探検で世界の可能性を拓く限界を感じ、他の道を模索し始めていました。友人と起業をしようとしたり、大島全体を使ったイベントを開こうとしたり、中野でシェアハウスに住み「隣の家の人の顔も分からないなんておかしい」という想いから地域の人と繋がって一緒にインディアカをしたり、子供食堂とコラボして流しそうめん会を開いたりもしました。
 そうした流れの中で、選挙に出て政治家になりたい、という想いに突如として火がつき、大学を卒業した今年の4月、中野区議選に無所属で出馬したのです。もともと政治にことさら強い関心があった訳でも、中野区の問題に精通していた訳でもありません。目の前に機会があったからこそ挑戦したというのが正直なところです。
 ただ間違いないのは立候補した以上、中途半端は良くないと思い、政治について社会について地元のことについて考えに考え抜いたことです。出馬しようと決めた次の日には顔を覚えてもらうために、とりあえずのチラシを作成し、街頭に立ちました。そのとりあえずは邪曲でした。今でも覚えています。2月終わりの夜、沼袋の改札の前で
「細貝悠です。よろしくお願いします」
その声は人に届くにはあまりに小さく、震えていました。普段街中で見る政治家はこのようなことをやっていたのかと愕然とし、自分は何かを実現させたいという「想い」が足りていないと痛感して、政策含めチラシ作りのためにその日から1ヶ月間を費やしました。
 結果は、1,500票が当選ラインと言われる中で787票。当選することは出来ませんでしたが、787人の方から期待をかけて頂いたことは大変有り難く、また責任があるなと日々痛感しております。選挙戦を通して同世代の友人から、
「細貝のFacebookを見て、政治とか選挙とかよく分からないけど、自分の街で初めて投票に行ったよ」
と言われた時は、小さいですが世界を変えられたかなと感じ、嬉しかったのを覚えています。無謀な挑戦でしたが、チラシ作りに長い時間をかけたことも含め後悔はありません。
 そうした選挙も終わった5月の終わりに、私の尊敬する早稲田の大先輩から
「お前ヒマか」
と電話が掛かってきて、
「ヒマです!」
と答えると、その3日後には塩村あやかさんの参議院議員選挙を手伝っていました。6月7月は目が回るような忙しい日々を過ごした後に、この手塚事務所に入らせて頂いたのです。
 私は多くの人に支えられてここまでやってこれました。まだこの世界に入って短いですが、
「世界の可能性を拓く」
この想いを胸に、1日でも早く恩返しが出来るよう日々精進して参ります。ご指導ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。

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