衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2009年9月28日「妹も、秘書になる」中村延子

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 アメリカの大学の夏休みは長いことで知られていますが、毎年3ヵ月半もある夏休みをどう過ごすか、頭を悩ませる学生は少なくありません。ある夏はバイトに明け暮れ、ある夏はサマークラスに通い、長い夏を充実させていきます。
 1997年、15歳の時、単身アメリカに渡りました。祖父が台湾出身の華僑ということもあり、親戚が色々な国に住んでいました。特にアメリカには多く住んでおり、
「英語が話せるようになり、世界の人とコミュニケーションをとれるようになりたい」
と強くそう思っていた私は、中学を出て数ヵ月後、渡米を決意したのです。
 2004年2月、アメリカの大学からのプログラムで、1学期の間、北京大学に短期留学をしました。アメリカの母校を選んだ理由の1つに、この北京への短期留学のプログラムの存在がありました。自分のルーツというものに深く興味を持ち始めていた私は、大学でアジア学を専攻し、アメリカから見た日本や中国、台湾のことを知りたかったのです。
 念願の北京大学での短期留学が始まったばかりの頃、インターネットのニュースに、次期参院選で民進党がキャスターの蓮舫さんを擁立するという記事を発見しました。その数日後、母から、手塚よしおの秘書だった兄が、蓮舫選対に加わっていることを知らされました。
 2004年夏、北京から戻った私は、その夏休みをどう過ごすか、再び頭を悩ませていました。
 そんな時、元々、政治に関心の強かった母は、私に選挙を手伝うよう薦めてきたのです。兄は自分のフィールドに家族が入り込んで来ることに抵抗があったようでしたが、最終的には渋々OKしてくれました。ただし、私が妹だということは絶対に内密に、という約束の下に。選挙戦2日目で、全員にバレてしまいましたが…。
 こうして2004年7月、初めて選挙を経験することになりました。他の日本の大学生のボランティアが試験中だったという理由もあり、日々街頭に出て、蓮舫選対の中心だった若手地方議員団や選挙スタッフと活動を共にすることができました。若い政治家の熱い思いに触れ、日に日に政治への興味が膨らんでいった17日間の選挙戦。この夏の経験は、アメリカへの最高の手土産になりました。
 大学を卒業し、日本に帰国してからも、数々の選挙に参加をしました。苦杯を舐めたあの郵政選挙。躍進を果たした2007年の統一地方選挙。政治活動や選挙を通じて、次第に政治に対して単なる「興味」だけではないものを感じるようになって来ました。
 同時に、不動産関係の会社で比較的豊かな人たちを顧客にしている仕事に就いていた私は、自分自身の仕事の「やりがい」に対して疑問を持つようになりました。このままでいいのだろうか…。
 そんな時、兄から声がかかったのです。そして、政治の道に進むことを決心しました。
 2009年夏、冷夏だったこの日本で、政治の世界だけは特別暑かったように思います。
 7月の都議選。世田谷で関口太一選対に加わり、今まで経験したことのない、物凄い追い風を実感しました。結果として、4年前の雪辱を晴らし、6万票近くの得票でトップ当選を果たしました。
 8月の総選挙。3年8ヶ月勤めた会社を正式に退職し、身軽になった私は、慣れないながらも選挙スタッフとして目黒・世田谷を行き来しました。そして、あの日に立ち会うことに。
 8月30日、日本の歴史が動いた瞬間です。遂に政権交代。そして、手塚よしおも国政に復帰しました。この歴史的選挙に関われたことは、自分にとって大きな大きな経験になりました。
 そして、2009年9月。新しいスタートを切った手塚よしお事務所は、秘書として私を暖かく迎えてくれました。現在は毎日が勉強。早く一人前に成長できるよう、努力あるのみです。
 学生時代の夏休みをどう過ごすか悩んでいたことが最初のきっかけとなって、まさか兄妹で同じ政治家の秘書になるとは思っていませんでしたが、兄・中村公太朗ともども、皆様これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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