衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2007年7月17日「うれし恥ずかし初日記」 富川知子

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 はじめまして。この度リハウスして来ました富川知子でございます。よろしくお願い致します。
 3ヶ月前には「手塚よしおと愉快な仲間たち」の住む五本木村にリハウスするなんて夢にも思っていなかった私…。思い起こせば本当に不思議なご縁だったと思います。“あの日”の一本の電話から私の人生が変わりました。
「都議会議員の伊藤と申しますが、富川ともこさんの事務所ですか?」
「は、はい…」
 到底選挙事務所とは言い難い私の自宅には携帯電話の開票速報とにらめっこしている夫、NHK選挙特番に釘付けの母。そして続々と当確が出てくる中いつまで待っても0票のままのネット速報に胃が痛くなってきた私。
 選挙期間中何度か声を掛けて頂いたその最年少都議はそんな状況を見透かしてか、開票状況を知らせるためわざわざ電話を下さったのです。
「今、900票までいってますから。あと一歩ですよ。諦めないでください」
その電話に勇気付けられましたが、結果はあと一歩及ばず…。それでも1000人を超える人たちが自分の名前を書いてくれたことに感謝、そして感動しました。と同時に忙しい中一緒に
「富川、富川、富川ともこをよろしくお願いします!」
と“名前の連呼”に声を枯らせて頑張ってくれた仲間達や、
「1人でかわいそうに~、頑張ってね」
と言ってポスターを貼らせてくれた商店街の方々には申し訳ない思いで一杯でした。
 つい最近まで、
「参院選なのに、なんで蓮舫さんは選挙じゃないんですか~?」
なんて平気な顔で学生秘書に聞いていたような候補者と
「これ(碑文谷)って何て読むんですかぁ?」
と、目黒区の右も左もわからないスタッフとの本当に手探りで戦った1週間。告示初日に自由が丘ガード下で選挙カーをぶつけたり、あの頃は敵陣の総大将であった手塚よしおには学芸大学商店街で
「桃太郎なんてしてても意味ないよ」
と一喝され(相当恐かった)たり、トラブルの連続でした。
 そんなこんなで私の長くて短かった珍道中も終わり、桜散る中で伊藤都議にお礼のご挨拶に伺ったところトントン拍子に話は進み、今に至っている次第でございます。
 手塚事務所で働かせて頂くようになって早いもので2ヶ月が経過しました。結婚してからのニート生活(専業主婦)がたたってか、はじめは社会復帰できるのか不安で一杯でしたが、今では
「手塚事務所でもう何年も働いてるみたいですね」
と言われる程馴染んでいるようです。これもいつもお昼ご飯の心配をして下さる土橋専務や、もはや彼無しでは事務所は機能しないとまで言われている大平常務(庶務担当)の日頃のサポートのお陰だと感謝しております。
 区議選の悔しさをバネにして4年後リベンジ?はまだまだ先のことなのでわかりませんが、ただただこの有難いご縁を大切にして、親方の為に汗を流すつもりでございます。そして来年の春には惜しまれて事務所巣立ち、超一流企業へと就職する大平くんの後継大黒柱と言われるよう頑張りたい思っております。

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