衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2006年11月20日「ハンカチおやじとGO!GO!目黒!」 松田哲也

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 大谷信盛候補と寝た。3畳一間もないシングルルームの一室で。軋むベッドの上で優しさを持ち寄り、きつくからだ抱きしめ合って「I LOVE YOU」と囁きながら。
 ここは大阪茨木駅近くのビジネスホテル。何百匹もの蟋蟀(こおろぎ)が、リッリッリッリッリッと切れ目なく鳴く秋の衆院補欠選挙・大阪の陣。
 毎晩終電が滑り込む0:59迄、人の海で圧倒する自・公の運動員20人が大挙しおしかけても、一歩も譲らず声を嗄らして民進党の政策を訴え続けた。翌朝また7時からここで始まる朝立ちに備え少しでも睡眠時間を確保する為、選挙戦最終盤のその日は事務所に戻らず大谷候補“本人”とは駅で別れた。そして機材一式を一人足を引き摺りながらホテルの部屋に持ち帰った。
 日中も山間部をトレッキングしての選挙戦。すぐに目の皮も弛み電気を消して床に就いた。とその時、カーテンの隙間から駅舎の灯りが大谷候補“看板”に差し込んだ。候補者が照り返すまたたきが眩しくて眠れなかった。看板を裏返しにした。これから悪い事をする後家さんみたいで良心がプチッと恥じた。微睡みながら、数年前の園遊会で手塚よしおが和装でキメた大谷さんを見つけて、
「ハオリ・〇〇・ハカマ」
と言ったのを思いだした。「ハ」の音でリズムを取っていた。ラッパーだ。可笑しくて臥し転びながら、大谷さんとの衣衣の朝朗を迎えた。干天の慈雨。関係者の皆様、厳しい環境に置かれれば置かれる程、笑いのチカラで乗り切る手塚よしおのブラッドをお許し下さい。
 残念ながらこの補選はおとした。しかし、次の総選挙へと繋がるマラソン選挙はまだ始まったばかり。私が経験した中でベスト5に入る壮絶な選挙戦が終わり、荷物をまとめてホテルを出た。移ろう秋の日脚を見上げると、天の一番高い所にあつまるという鱗雲が一面無数に流れていた。あの雲だ。次の総選挙後あの雲の上に、必ず手塚よしおがいる。そして落選中の手塚よしおを支えてくれた数々の魂が、紅輪に玉座しその天の一角から共にまつりごち日本を運ぶ。
 私達スタッフもその日まで、雲を掴んで放さない、泥を噛んでも離れないで行こうと誓った。間髪入れずまずは来春の戦の備えに取りかかった。例えば、世田谷で新たな活動を始めた、いつも弛んだモモひきハンケツおやじ橘秀樹は、自らの活動をそっちのけで、爽やかな汗キラキラふきふきハンカチおやじ松田哲也のポスターをギックリ腰になるまで貼ってくれた。東京に木枯らし一号が吹き荒れ、街から人が消えた日曜日の夜の出来事だった。数日間の療養は必至だったが、翌朝自由が丘の駅頭ビラ配りに彼は現れた。通行人がいなくても前へ後へ左へ右へ、いつもの軽快な無駄なステップを刻みながら、チラッとこちらを見やり、痛みに顔を歪めて
「GO!GO!目黒!」
と小さく拳を握った。この時、「死んでもいい」と言った小泉さんと彼を重ね合わせた。
 こうして、24時間365日必ず来るその日の仕込みをしながら、私達スタッフも成長させて頂いている。
「これ以上の鍛錬は心身共に堪えられない」という限界に達したところを、もう一歩努力し再度挑戦する。この一歩が、繰り返しが、その人の人生を左右するのだろう。
「蝶は一度の脱皮で綺麗な羽根を広げますが、蟋蟀(こおろぎ)は何度も何度も脱皮を繰り返し、最後にあの音色を放つんです」
と教えて貰った事がある。
 「鳴きたい」私は、20年の星霜を経て、手塚よしおと人生の折り返し地点で再び出会い、沢山の人と袖を振り合わさせて頂く中で、6年間そして今も深く楽しく学ばせて貰っている。
「感謝しなさい」
母がよくそう言う。
「ありがとうございます。みんなで鳴けますように」
 4畳半の部屋の窓から、あの流れる雲に願いを込めた。

秘書日記

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