衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2005年9月14日 「蟋蟀(こおろぎ)」松田哲也

 選挙戦最終日、フィナーレの学芸大駅から事務所まで真っすぐ続く道を足を引きずりながら歩いていた。体は重かったけれど、2年前の総選挙以上の手応えを肌で感じ、気持ちは軽かった。「手塚よしおは負けない」五本木交差点に浮かんだ銀箔の月を見上げながらそう呟いた。負ける気は全くしなかった。
 ドラマの始まりは8月8日、郵政法案否決即解散が確定的になり地元秘書も議員会館に集まった。永田町にはオニヤンマが飛んでいた。初夏から盛夏、7月の都議選は熱い夏の序章に過ぎなかった。それから1ヶ月、想像を絶する選挙戦と結果が我々を待っていた。
 決戦の火蓋が切って落とされると同時に、自民党は一気に刺客を放ち序盤で流れを作り「世論」をつかんだ。小泉大型台風は日本列島を縦断し特に首都圏を直撃した。
 「死ぬなよ」と、戦後60年経った日本の首都の街角で、心からそう祈っていた。対立候補の背後から本陣の大砲が打ち込まれる中、連日の猛暑にもかかわらず、チーム手塚はひたすら駅頭や街頭に立ち続けた。倒れる寸前まで。例えば、橘秘書は二子玉駅で軽い熱中症に襲われ、ビラを抱えたまま数分間虚ろな目で立ち尽くしていた。水を掛け、腰を叩きやっと意識を取り戻した。そして、最後の学芸大駅までチームはフォーメーションを全く崩す事なく、手塚の志と政権構想を訴え続けた。しかし結局、郵政民営化というワンイッシューが最後まで頸木となり民進党は惨敗した。手塚は2期5年、民進党若手改革派のリーダーとして、国会で、あるいは各級選挙で、党幹部や記者達を唸らす実績を残してきた。今回の得票も前回を超える109,618票。その手塚に対して神の差配はあまりにも厳しいものだった。人知を超えた世界があるのだろう。だから、我々は必ず次のストーリーがあると信じている。
 敗北は敗北。ただ我々は手塚の掲げる旗に絶対的な自信を持っている。これから民進党に、政権にますます結果責任が求められる中、手塚の力が一層必要になってくると確信している。
 結果が出た9月12日未明。さすがに虚しさに包まれたまま帰途についた。家に帰って布団に入ると、蟋蟀(コオロギ)の鳴き声が聞こえてきた。いつの間にか、もうそんな季節になっていたんだ。冷房を切って窓を開けた。昨日と同じ月が優しく蒼く体を包んだ。もう一度だけ、月に向かって呟いた。「手塚よしおは負けない。絶対に負けない」
 今回の敗北が機縁となって、新しい光がきっと政治の世界に照射されるだろう。虫の音色を聞きながら、映画「ラストエンペラー」で皇帝溥儀が晩年、故宮で子供のころ隠した蟋蟀を見つける幻想的なシーンを思い出した。微睡みながら、手塚よしおが手放したものを取り返しに官邸に入る姿と重ね合わせながら。

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