衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2003年5月6日 「出戻り?秘書」平野春望

皆様、大変ご無沙汰しております。平野春望でございます。実は去年の夏以来、代議士をはじめ事務所の先輩方や、時より「頑張ってるか?」と、お声を掛けて下さった支持者の方々に不義理この上ない「突然の失踪そして逃亡」をしておりましたが、先月、ついに潜伏先の都内で手塚事務所の「踊る大捜査線」松田刑事に身柄を確保されました。
 約半年間に及ぶ逃亡は、大学の仲間と行った富士登山が原因でした。馬鹿と煙は…ではありませんが、日本一の男になるには日本一の富士登山をしたいと思い続け、学生最後の夏に初登山を敢行したのでした。夢に見た日本一の富士山頂で感涙し、かなりの興奮状態でした。上機嫌で疲れも忘れ、軽快に山を下りていたその時です。僕は足下の石につまずきました。「代議士~ぃ!」と叫びました。宙を仰ぎながら、代議士の顔が走馬燈のように見えたのは秘書として当然です。
 そして、富士山ダイブ事件で、ポスター貼りやポスティングの為にある大事な右足を負傷。捻挫という診断も、精密検査の結果は骨折という最悪の事態になりました。出勤日の朝、松葉杖で事務所に向かいながら大変なことに気付いたのです。折しも、民進党代表選挙の中で、物凄い忙しさなのです。痛いだの言っていられる状況じゃないと気合いを入れて「何でも出来ます!やります!やらせて下さい!」と必死でした。しかし代議士からは「無理をすれば長期化しちゃうよ。完治するまで治療に専念しなさい」と事実上の「戦力外通告」を受けました。
 それからは外出を控え、アパートにこもる生活をしていると、自らに甘くなり怠け者になっていきました。彼女にもふられ、自暴自棄になり、この場から消えてしまいたくなり、どこにも連絡をすることなく、広島の実家に戻ってしまったのです。
 空白の半年間を経て、今年3月どうにか大学は卒業できたのですが、就職先はありません。街をさまよっていたところ、松田さんからの連絡がありました。その後、代議士から「たまには昼飯でも食うか、春望」と声を掛けて頂いて議員会館に出かけたのでした。代議士が連れて行ってくれたホテルのレストラン。そこで食べたビーフカレーの旨かったこと、忘れられない味です。半年間もの音信不通という不義理をした僕に、代議士は「元気か!?最近どうだ?」と温かく、もうすでに涙が溢れそうになっていました。そして「事務所に戻ってくる気はないのか?」と言って頂きました。その言葉で、瞼の堤防は決壊してしまいました。「宜しくお願いします」。一も二もなく返事をしました。
 手塚事務所から区議会議員になった伊藤さんの穴は簡単には埋められませんが、がむしゃらに新人の気持ちで頑張りますので、どうかよろしくお願いします。

秘書日記

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