衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2010年2月15日「この事務所からの卒業」鈴木彩里

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 2007年夏にインターン始めてから2年半。この3月をもって手塚よしお事務所を卒業する鈴木彩里です。今回が最後の秘書日記となります。
 私がインターンをしたのは大学2年の夏。参議院選挙で与野党が逆転し、今となっては少し懐かしい「ねじれ国会」という言葉が誕生したちょうどその頃でした。毎年、議員インターンをする学生というと、政治家を志していたり、官僚を目指したりする学生が多い中、私は世の中への関心が薄い「うっかり来ちゃったタイプ」の学生でした。そんな私が、後輩たちから「お局インターン」と影で呼ばれながらも、大学を卒業するまで事務所に通い続けた理由は2つあります。
 1つは目黒・世田谷という街に魅力を感じたこと。はじめは「おいしい」街という単純な理由でしたが、選挙が近付くにつれ、東京5区の有権者の政治的関心は高く、日々の寄せられる意見・陳情から社会の多くを学び、ひとりひとりの声が政治や政策を変える可能性を実感。事務所での仕事に大きなやりがいを持っていました。
 もう1つは手塚よしおとこの事務所が大好きだったこと。就職氷河期で、内定がなかなかもらえず諦めそうになっていたとき、事務所へ行けば、
「解散も内定もまったく時期が読めないねぇ…」
なんて、冗談を言われながらも不思議と元気をもらえました。また、当時、浪人中だった手塚さんの、
「俺も4年間、同じ思いだった。お互いあともう少しだから」
といって肩を抱いて励ましてくれたエピソードは、光と影を知る手塚よしおをよく表していて忘れることができません。
 そして、何よりも心に残った出来事といえば、2009年8月30日。手塚よしおの国政復帰と歴史的な政権交代という瞬間に立ち会えたこと。議員、秘書、学生がそろって「440」の赤シャツを着て、ひとつの目標に向かって汗を流しました。
 選挙中、私は駅頭に立ちマニフェストを配っていましたが、数年前まで耳にすらしたことなかったマニフェストが凄まじい勢いで有権者の手に渡り、選挙も変わったことを肌で感じました。将来、教科書に載るかもしれない出来事の一翼を担うという、今後の人生でもなかなか味わえない貴重な体験だったように思います。
 振り返れば短い大学生活でしたが、手塚よしお事務所で過ごし、卒業を迎えられたことは、私の未熟な言葉では表現できないほどの刺激と感動がありました。
 春から、私は社会人になります。まだ卒業する実感がなく学生気分が抜け切りませんが、インターンを始めたばかりの頃のように、
「自由民進党と民進党ってどちらも同じ“民進党”ですよね? 何がちがうんですか?」
なんて、非常識なことを言わないように、また世間からもおバカな女の子と言われないように、社会人としての常識や自覚を持ちつつ、新政権に期待を寄せつつ、事務所を卒業します。
 手塚さん、そして事務所の皆様、大変お世話になりました。心からありがとうございます。卒業しても、事務所名物「辛ラーメン鍋」をつつく時は、いつでも呼んでください(^^)v

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