衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2004年3月29日 「旅立ちの時」宮川光二

 3年前の2月、議員会館。初対面の手塚に
「政治家って、休日は何をしてるんですか?」
と聞いたところ、
「休日っていう休日はないんだよな」
「・・・?」
議員会館の一室でかわわされた手塚・宮川の初会話です。
 政治家にも決まった休日があると思っていたのです。そんないたいけな大学2年生に、当時大学5年生の公設第1秘書で、現在は目黒区議伊藤さんが耳元で囁きました。
「ぜひ、事務所に来て手塚事務所を盛り上げてくれ」
 通行証をぶら下げて国会内を駆け回っている秘書に憧れを抱いていた私は、これで自分も!と舞い上がってしまったのです。手塚にも、
「頼むぞ!」
と言われ「オレって出来るやつかも」と勘違い。
 それをきっかけに、事務所に居着いてしまいました。今では、2番目に古株の秘書に・・・。
 通行証をぶら下げて、国会を駆け回ろうと意気込んでいましたが、最初にもらった仕事は地元事務所倉庫の片付けでした。ニュースを見ながら友人に
「あれ、オレがやったんだぜ!」
と自慢するはずだったのに・・・。
 その後も、駅頭でのビラ配り、ポスター貼り、ポスティングと地道な活動が延々と続きました。いつまでたってもニュースに出るような出来事には一切ぶつかりません。通行証をぶら下げるのは、月に一度の議員会館で行われるスタッフ会のときだけ。
 毎日悶々としながら、囁いた伊藤さんを恨み始めていたころ、転機が訪れました。一緒にお酒を飲みに行ったときに、伊藤さんがまた囁いたのです。
「ポスター貼り、ビラ配り、事務所で誰が一番できると思う?誰が一番多くやってきたと思う?」
「?」
「手塚さんだよ」
そのあとは、自分が事務所に入る前、今のように秘書がいない頃、全部手塚が自分でやっていたという話も聞きました。一度もその姿を見たことがない私は、手塚が何年も自分で全部やっていたという当たり前のことに気付きませんでした。
 その夜をきっかけに、腐り始めていたところから復活することができました。そこからは、仕事が楽しくなり、今日は昨日よりビラを1枚でも多く配ってやる、ポスターを1枚でも多く貼ってやると思えるようになりました。
 その後は、民進党代表選挙、そして総選挙と日本中から注目されることにも関わることができ、充実の毎日を過ごすことが出来ました。
 と、やや思い出調になっているのには、訳があります。実は大学を卒業し、この4月からPR会社で働くことになったのです。事務所内外の皆様、本当にお世話になりました。この場をお借りして、御礼申し上げます。有難うございました。
 と、そんな私の耳元で3度目の囁きが・・・。
「就職なんてしないで、4月からも事務所に来たら」
有難いお言葉ですが、4度目の囁き、
「そろそろ手塚事務所に戻って来たら」
と言ってもらえるように、しっかり頑張ってきます。

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