衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2009年12月2日 内野席「劇的ビフォー・アフター」伊藤 悠

事務所が消えた。あそこにあった柱もない。ここにあった応接セットも、中身のなかった分厚い金庫も、夏にはきかない大型クーラーも、みんなきれいさっぱりなくなった。
あっけないほど一瞬の解体工事だったので、まるで手塚・伊藤事務所は夜逃げでもしたように跡形もなくなったのだ。
ここは五本木の事務所跡地前だ。
思い出せば約10年前。時は西暦2000年。民進党の支持率は消費税並みといわれ10%を下回っていた頃だ。当時の民進党といえば「政権交代!」はお題目。
地元の町会も消防団の関係者も
「まぁ手塚君、小杉先生は強いから次の次を狙って頑張るんだね」
と冷ややかだった。
ポスターを貼るにしても
「民進党の衆議院候補の手塚ですが…」
とピンポンしても、インターホンへの最敬礼もむなしく
「はい? 民社党? 手塚ねえ、そういう人出てるの? 何の選挙?」
とまぁ、こんな感じ。候補者紹介だけでも時間を食われる。マイノリティーの悲哀を感じる。この連続だった。
そんな調子だから不動産屋も店舗の貸し渋り。
「いゃー、そう、民社党の人ねぇ」
「いえ、民進党です」
「とにかく、大家さんには聞いてみますが、選挙関係はちょっと難しいと思いますよ」
とそっけない。
そうこうしてる間にミレニアム選挙と呼ばれた2000年総選挙は目前に迫ってきていた。
「いゃー、参ったね。悠君選挙事務所どうするよ?」
と困惑模様の手塚さん。
最後は空き地にプレハブ建設か?と議論もあったが、これが曲者。空き地にプレハブほど金のかかるものはないらしい。トイレ、水道、水回り…掘ったり埋めたりしている間に500万が軽く飛んでいくというから、プレハブは却下。
そんな時に、奇跡の「FOR RENT」、それが五本木事務所だった。
大家さんは事務所裏に住む地元の地主さん。ご主人は元読売新聞記者だったラディカルなお爺ちゃんで、
「使っていただけるならありがたいのでどうぞ」
と言ってくれた。ありがたかった。野党の悲哀、非自民の肩身の狭さを思い出せば、あの頃が懐かしい。
「ここもあります、あそこもあります。大家さんですか? 民進党なら喜んでお貸しすると思いますよ。保証金? それはできる限り大家さんに交渉してみますよ」
10年の歳月は変化を与えた。民社党と間違える人は激減し、夜逃げを心配する大家さんがいなくなった。  青葉台の事務所に移って3ヵ月。驕れるものは久しからず。政権政党になってこそ謙虚に、丁寧に、10年前の悲哀を忘れずに励んでいきたい。

内野席・外野席

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