衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2006年6月1日 外野席「強くなるために」蓮 孝道

 ここは上州群馬県。福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三と戦後3人の首相を輩出した自民党の牙城。中選挙区時代にはまさに血で血を洗うような熾烈な派閥抗争が展開されたという。
 昨年の総選挙。東京は歴史に残る大型ハリケーン“小泉”の直撃を受け、民進党は東京18区選出の菅直人代表代行を残し、無残なまでの屍の山を築いた。しかし、このハリケーン“小泉”の影響を受けなかった地域もあった。そのひとつが群馬県である。
 県下5つの衆院選の小選挙区で、自民党の得票数は前回2003年とほぼ変動はなし。むしろ民進党が各選挙区で1~2万の票を増やした。結果、民進党結党以来初めて群馬県から代議士が誕生した。
 衆議院議員石関貴史氏。石関さんは早稲田大学出身、旧郵政省を退官後、地元群馬県伊勢崎市議会議員から県議会議員と歩を進め、小選挙区では1歩届かなかったが、北関東ブロックで比例復活当選を果たした。手塚さんの早稲田大学の後輩にあたり、県会議員時代に手塚さんの支援者の陳情を引き受けて貰った縁の人物だ。そして私にとっては実家のある群馬県みどり市選出の衆議院議員であるとともに、手塚さんにお引き合わせを頂いた現在のボスである。
 石関さんの選挙区は群馬2区。対抗する自民党候補は日本財団の創始者で、故笹川良一氏の息子、笹川堯氏。笹川さんは科学技術政策担当大臣を務めた自民党の大物衆議院議員。その笹川さんにわずか1,500票の僅差まで詰め寄った。
「負けないために」
「強くなるために」
それは民進党衆議院議員候補者が、すべからく肝を嘗めながら思ったことだろう。
 手塚さんは毎朝駅に立ち、有権者への訴えを強化するとともに街にポスターを貼っている。
 ここでは大きな駅も無く、周囲180度を見回しても自民党ばっかりの群馬県で石関さんはひたすらに地元を回っている。
「俺たちは開拓者なんだ。この地域には今まで民進党は存在すらしなかったんだよ。フロンティアスピリッツを忘れるな」
 そう、我々民進党は開拓者なのかもしれない。政権交代の可能性と必要性を訴え続け、来る民進党政権に向けて修練を重ねなければならない。
 小泉政権終焉まであと4ヶ月。群馬では福田赳夫前首相の息子、福田康夫首相待望論が大きい。その中で、政権交代を望む“自民党員”の声も聞こえてくる。
 小選挙区制度で「強くなるために」は相手陣営をこちらに塗り替える作業、まさにオセロゲームをしなければならない。
 次回の衆議院総選挙は2年後とも3年後とも言われる。その時、どれだけ“オセロ”できているかは、候補者本人が汗をかくことはもちろん、それを支えるスタッフも強く変わる必要がある。
 ちなみに群馬に帰った若造秘書は、相も変わらずボスの叱咤を受けている。政権交代への一里塚、統一地方選挙まであと9ヶ月。若造の道のりは遥か遠い・・・。

内野席・外野席

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