衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2006年8月21日 内野席「外交に転がる白球」伊藤 悠

ライト、センター、レフト。
甲子園なら背番号で分かる守備位置も、政治家の場合はちょっと難しい。一昔前はチームカラーがあって、自民党がライト寄りなら、社会党はレフト気味だったのが、よく言えば守備範囲の広い民進党の誕生で、チームだけでは色分けが出来なくなってきてしまっている。変わらないのは共産党が今も昔もレフトのファールグラウンドに位置していることくらいだろうか。
そこで、永田町には政治家を思想的に峻別する伝統的な色分けがある。
その一つが、親中派か親台派かの見分け方だ。
1949年の中華人民共和国成立以降、日本は蒋介石率いる中華民国(台湾)を国交対象国とするか、中華人民共和国(中国)をそれとするかで、路線対立を極めてきた。特に自民党内部で。
目立つところで親台派の筆頭株は石原都知事、亀井静香氏あたりだろうか。
地味なところで親中派の筆頭株は加藤紘一氏、福田康夫氏あたりだろうか。
そしてこの色分けが、外交時には政策判断にも影響すると見られ、「彼は親中派だから何々した」とか「親台派だからこうした」などと言われることがある。石原氏の「第三国人」、「シナ」発言のときなどは「彼は親台派だから…」などと言われた。
今回の靖国神社問題では、久しぶりにこの親台、親中スタンスが政治家の発言に色濃く反映された感がある。首相の靖国参拝に慎重派と言われる人たちは、確かに親中派と呼ばれる人が多く、8月15日に堂々と参拝した議員の顔ぶれを見れば、親台派が少なくない。 では、再三独り言に首相の靖国参拝を批判している手塚さんは親中派なのだろうか?
その前に、こんなエピソードを紹介したい。それは手塚さんが衆議院に初当選して間もなくの頃だったと思う。議員会館の部屋に中国大使館の一等書記官がやってきて、
「手塚先生は南京大学に留学経験があるんですね。中国のことを理解してくれる議員の方々を私たちはとっても大事にしています」
と、丁寧な挨拶を残して言った。
その数ヵ月後、手塚さんは議員仲間と視察で台湾に行った。
すると、どこで聞きつけたのか、驚いたことに、先日やってきた一等書記官がやってきて、
「手塚先生、どうして台湾行かれたのですか?」
と、今度は抗議の声色で迫ってきたのだ。
なるほど、永田町にはこういう色分けが厳然とあって、両国は意図的に緊張関係を演出しているのだと痛感した。ところが、手塚さんの返しは、さらに痛快なものであった。
「私は親中派ですよ。中国に特別な想いと関心を寄せています。しかし、知中派であるということは同時に微妙な関係である台湾についても常に知っていなくてはならない。同時に私は親台派でもあるのですよ。両国の実情を知る議員こそ、真の中国の理解者になるのではないか?」
納得したとは言えずに、眉をひそめる書記官の顔を思い出す。
決して屁理屈で言ったわけでも誤魔化したわけでもない。ただ、伝統的な色分けが無用の対立を生むと思っているだけだ。時代もまた、伝統的なイデオロギーの構造から、経済本位の構造へと変わってきている。ならばこそ、伝統工芸じゃあるまいし、せめて若手議員は伝統的イデオロギーの継続で、靖国の賛否を決めるべきではないだろう。つまりは親中、親台の時代は終わったと言うことだ。どちらかの側に立つ視点ではなく、どちらの側にもたって外交を見つめる視点。
もう一言、手塚さんの発言で注目したことがある。 靖国問題に触れて、
「どんな理屈があるにしても、相手(中国、韓国、台湾など)が嫌だと言っていることやるのは、孔子も良くないといっているじゃないか」
と。
相手の嫌がることはやめよう。そこに親中派でも、親台派もないのだ。

内野席・外野席

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