衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2012年9月3日 内野席「解散予想」伊藤 悠

目黒区には、荒瀬先生という大御所がいます。議員からも、区長からも、「先生」、「先生」と呼ばれる荒瀬先生は御年80才を超え、かつては旧東京2区からも衆院選に何度か出馬した経験のある長老です。
早稲田大学雄弁会のご出身であることから、手塚さんの面倒を見るようになり、今では親子の関係といっても過言ではありません。
よく飲み、よく食べ、よくしゃべる長老は、居酒屋で焼酎を手にすると、解散の話に花を咲かせ、政治好きの同席者の耳目を集めて止まないのです。
「わしはなあ、解散は〇月だと思う」
この解散時期の読み聞きたくて、先生のもとに集まるご年輩が多いこと。
「先生、また政治の話を聞かせて下さい」
大企業で役員を経験した人まで集まってきて、車座集会が展開されることもあります。どうも詳しい背景には、昔からのメディア人脈に加えて、古くからの国会議員とのつながりがあるようで、しりきと
「わしが聞いた話ではなあ」
と前置きしています。
さて、この情報通の荒瀬先生と現役で政治に携わる手塚さんが席をともにすれば、ここ10年間の話題は決まって阪神・巨人ではなかった・・・、解散時期になっていました。
「手塚君、きみは解散はいつだと思うかね? わしはなあ、これは〇月で間違いないと思うぞ」
同席してきた私が耳にしただけでも、こんなやり取りが10年で100回はあったと思います。けっして大げさではありません。ずっと野党の立場でしたから、解散時期を予測するのは与党の思惑を思案することにほかならず、ああでもない、こうでもないと議論していると、結局誰も確信がないので、連想ゲームのような面白さがあったのです。
そんな光景が一変したなと感じたのは、久しぶりに荒瀬先生と手塚さんと私が中目黒の「はし田屋」で顔を揃えた先月でした。
「わしわなあ、野田君の性格から言っても、解散は遠くないとみとるぞ」
「・・・」
「自民党も早期の解散に追い込まないと谷垣再選がないとみて、解散を迫ってくるだろ。そこで、野田君の出方だが、代表選挙をやって、新体制をつくったら解散の準備にはいるんじゃないか。どうだ?」
「・・・」
「答えられんか」
「・・・はい、私が言うと一般論ではなくなりますから」
言葉少なにウーロンハイに手を付ける手塚さん。
「そうだな、そういう立場だな」
あんなに解散時期を巡って、何時間でも盛り上がれた頃が嘘のように、ぎこちなく二人の会話は解散から遠ざかっていきました。これが役割の大きさでしょうか。「解散」のキーワードに神経を使う手塚さんの重たい表情を見たとき、初めてこの世界の重圧を知ったような気がします。
「いや、先生、解散は〇月までないですよ」
「わしが聞いてきた話ではなあ、〇月だというぞ、油断しちゃいかんぞ」
「また、先生はすぐ解散というんだから・・・」
なんの気兼もいらなかった、あの頃の会話が懐かしくてなりません。
重たいポストを担った喜びと、重圧を背負った苦しみとは、一体どちらが勝るのでしょうか。二人の会話から、ふとそんなことを考えさせられました。
解散は予測するまでもなく「近いうちに」行われます。今はただ、予測よりも全力を尽くす以外ありませんが。

内野席・外野席

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