衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2004年3月15日 内野席「薬師寺区長を偲ぶ」伊藤 悠

3月7日早朝、薬師寺前目黒区長が急死しました。私にとって身近な政治家の急死は初めてのことではありません。お隣の東京6区選出の石井こうき代議士(当時)が刺殺されたのが2年前の冬のことです。石井さんは秘書時代からのお付き合いで、世田谷区の行事毎に顔を合わせていましたが、何年経っても私の名前を覚えていなかったようで
「えーっと君、何だっけ?」
というのが挨拶代わりになっていました。ようやく名前で呼んでもらったのは
「えーっと伊藤君、頑張ってな」
目黒区議選出馬が決まった頃のことで、それが最後の会話になりました。
薬師寺前区長は対照的に、照れ屋な半面、名前覚えのよい方で、秘書当時からよく声を掛けてもらった覚えがあります。気配りの出来る方だなあと、感心させられることがよくありました。
さて「さんま祭り事件」とでも言うんでしょうか、数年前のある日曜日に関連記事を見かけた羽田孜元総理が気まぐれにも、今日、さんま祭りに参加したいと仰ったことから端を発したその事件は、いかにも薬師寺さんの人柄を現しました。羽田事務所からは秘書を通じて、地元民進党国会議員の秘書、つまり私あてに、用意よろしくと伝えてきたので、私も手塚代議士と目黒区の区長室に連絡をとって、羽田元総理の意向をお伝えしました。今日の今日のことです。日曜こそ公務が重なる区長のことですから、うまくいってお迎え程度のご準備を頂けるかなと思って、手塚代議士と共に出かけると、それはそれは大名行列をお迎えするかのような準備ぶりで、薬師寺区長が待機していました。
「さんまもご用意いたしております」
と言って、試食用の即席貴賓室まで、しつらえる念の入れようで、羽田元総理はもちろんご満悦、むしろ私などは、かえって区長にはご負担を掛けてしまったなと思うほどでした。以来「さんま祭り」と聞くたびに、あの日の区長が思い出されます。
どこに行っても「住みやすい目黒区づくり」を挨拶の中で標榜していた薬師寺区長。その薬師寺さんが自ら命を絶ったことは、ショック以上の疑問符ばかりを残しました。石井さんの時とは違い、死を導いた実行犯はいませんが、死を導いた真相は見極めていきたいと思っています。

内野席・外野席

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