衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2006年3月22日 内野席「劇物テレビ」伊藤 悠

総選挙が終わって1週間後。我々の敗因分析は続いていた。
結局、僕と手塚さんで出した答えは「テレビの出演回数」に行き着いた。
「あの選挙を小選挙区で勝つことは不可能だった。ただし、比例区で生き残るにはテレビの力が必要だったかも」
と肩を落とす手塚さん。確かにその差は明確だった。
都内で比例区復活当選したのは、元キャスターの小宮山洋子さんや、社会保険庁の無駄遣いを追及した長妻昭さん、テレビタックルでお馴染みの松原仁さん、長島昭久さん、末松義規さんなど、テレビの出演回数順に復活している。
一方、都内最大の民進党区議団を形成している文京区では、民進党が区議会議長を有する牙城であるにもかかわらず、手塚さん同様に現職の議席を失った。
「やっぱり、テレビの力か…」都市部の誰もがそう感じる総選挙だった。そこで、手塚周辺の支援者も口々に
「手塚君も、これからはテレビに積極的に出たほうがいいよ」
と言ってくれた。
ところが、テレビの力を一番実感したのは、実は落選者ではなく、この惨敗の選挙で生き残った当選者の方だった。瓦解した選挙の中で、自分の握っていたテレビという命綱を実感した当選者は多かったはずだ。だれもが思った。「もっとテレビに出たい」。
1月17日の衆議院国土交通委員会。馬淵澄夫議員は新証拠を手に証人喚問に臨むと、その人気は一気にブレークし、知名度は一夜で全国区になった。だれもが思った。「もう馬淵さんは選挙が安泰になった」。その日以来、党内では「馬淵シンドローム」なる言葉が生まれた。「次は俺が馬淵澄夫になりたい」と。
2000年頃から様変わりしたこと、それは政治家が積極的にテレビを利用し始めたことだ。それまでの多くが、テレビ、新聞は政治家にとって煙たい存在だと思ってきた。ところが、改革派市長、知事の誕生で、政治家の活躍がポジティブに報道されるようになった。最たるは小泉総理の存在だろう。テレビは武器になる。政治家の意識が変わったのだ。
ところが、テレビは凶器にもなる。テレビは一度スターを見つけると、搾り取るだけ搾り取る。しゃぶれるところはしゃぶり尽くす凶暴性を持っている。
政治家はテレビとどう付き合うべきか?
テレビを利用しようとしてはいけない。
テレビに利用されてもいけない。
常に被写体に務めること、つまり、風太やタマちゃんのように、お願いもしてないのに勝手に報道される分には、テレビの毒性を飲まされないで済む。もちろん、そんな風にはいかないが。
政治家にとってテレビは劇物。副作用を覚悟して付き合わないといけない。
永田メール騒動の一番の背景は色々な意味でテレビかもしれない。

内野席・外野席

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