衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2013年11月1日 内野席「自問自答」伊藤 悠

地震が起きても、自分だけは死なない。多くの人がそう思っているように、どんな逆風でも自分だけは落選しない、とほとんどの候補者は思っています。私も例外に漏れず、選挙の投票日まで「ぎりぎりでも当選できる」と確信していました。その自信は裏打ちされたデータでも、手ごたえでもなく、そう思っていないと、この仕事を続けられないと、本能的に察知しているからだと思います。
ですから、都議選の投票日の昼頃に世田谷公園へ、久しぶりの家族サービスをしに出かけたのも、本能的な鈍感力のなせる業だったかもしれません。
それでも、嫌な予感はもちろんありました。偶然、公園で出会ったのは、同じ保育園に通う娘の同級生とそのご両親。
「ああ、蘭ちゃんのパパ、どうも!」
と、声を掛けられたので
「こんにちは、今日は投票日で活動できないものですから、公園に来ました」
とお答えすると、
「うん?」
と言わんばかりの、かみ合わないリアクションが返ってきました。
「あっ! あのー、民主党で都議選に出てるんですよ」
と言うと、聞いてはいけないことを聞いてしまったような顔で、
「ああ、そうなんですか?」
と、他に言葉が思いつかない表情でリアクションを取られていました。
その時に、同じ保育園でさえ認識されていない方がいるのかと自分の努力不足を呪うとともに、逆風の選挙でこの知名度ではいけないと、背筋が凍ったのを思い出します。
選挙が終わり、本当にいろいろな方々にお話を伺い、気付いたことがたくさんあります。それは、何より自分で思っているほど、世間は自分を認識していないんだなという反省です。これは反省に尽きます。2期やっている。朝は駅でビラを配っている。新年会にも顔を出している。そんな自負が自分は認知されていると、自分を思いこませてきたのでしょうが、そこに大きな誤算と勘違いがありました。だからと言って、朝から晩まで背中に名前入りのノボリを立てて生活することはできませんし、有権者もそんなことは期待していないはずです。
そこで、落選の大先輩と言えば、衆院選を104票差で負けた野田佳彦前総理がいます。野田さんと浪人生活をともにした秘書に、当時のことを振り返って頂くと、こうでした。
現職の時に1時間だった街頭演説を落選中は3時間にした。地元で顔を合わせる人の数を3倍、4倍にした。そうして、落選中の時に今まで以上の努力を重ねて復活すると、落選中の時に知り合った支援者と心底、深い付き合いになったのだと述懐してくれました。その通りだと思います。
しかし、その大前提は、議員に復活して何を成すか、その信念の確立なんだろうと思います。武者修行と違って、駅に立てばいい、握手して回ればいいというものではありませんから、この4年間は浪人生活を送りながら、何を学び、何を感じて、復活した時に何を成すべきかを確立したいと思います。
そういう信念のもとに、再びマイクを握り、議席奪還への誓いを立てたいと、今はただそう思うばかりです。幸いかどうか、周りには浪人の先輩がたくさんいます。支え合いながら、今一度、自問自答を繰り返したいと思います。

内野席・外野席

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