衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2007年7月2日 外野席「梅雨空に思う」蓮 孝道

 群馬県みどり市。世田谷区のおよそ4倍の面積を有するそのまちはたった5万3千人の市民が暮らす山ん中の小さな小さなまちである。
 そこに住む人々は、経済活動以前に地縁と義理と人情で結びつき、そこを動かす政治家たちは、まさに「オラが村の代表者」であった。
 手塚事務所で最後の秘書日記を書き終えた日から1年後。25歳になった若造はそんな田舎で手を挙げた。
 田舎の常識に真っ向からケンカを売って戦った選挙戦。交差点にマイクを持って立ち、山ん中を自転車で駆けずり回ること7日間。夜中にふと立ち寄ったコンビニで、
「あれ? 蓮さんですよね? 自転車で頑張ってるとこ見ましたよ! 応援してるからね!」
若い店員さんから声を掛けられたその時、確かな手ごたえを得ると共に、もう選挙区内のコンビニで人目をはばかる本は買えないなと痛感した。
 結果1,293票で第6位。若造はみどり市史上初の25歳市議となった。史上初といっても平成の大合併で誕生したみどり市だから今回が初めての選挙なのだが。
 独り立ちをし、小さいながらも自分の事務所もかまえ、我ながら充実した毎日を送っていると思う。梅雨空の下、自分以外にスタッフなど置く余裕もないので、独り事務所で仕事をするとき、ふとあの懐かしい五本木の喧騒を思う。
 当時から他の国会議員の事務所と比較しても抜群にスタッフが若い手塚事務所での生活はキャンパスライフ以上に青春の1ページだったと思う。いまやあの時代をともにした仲間たちが目黒・世田谷の政治の大舞台で活躍していると思うと、手塚事務所も新時代を迎えたんだなぁと田舎で勝手に物思いにふけったりもする。
 秘書時代、手塚親分が言ってくれた言葉が今も忘れられない。
「蓮はいい政治家になれるかもしれないな~」
 その言葉の深い真意にはまだまだ到達できていない。いや、この言葉は若造の人生の命題なのだ。
 群馬の山ん中で産声をあげた若造政治家は、田舎まちの義理人情とともに仕事をしている。そこは都会の華やかさとも中央政界のドラマチックなまでのスピード感とも無縁だが、確たる人と人との結びつきと住民生活に直結した地方政治がある。合併によりゼロからスタートした故郷の未来を創造するその仕事の先に「いい政治家」の答えがあるような気がする。

内野席・外野席

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