衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2008年10月2日 内野席「あっちこっち舞うヨチョウ」伊藤 悠

選挙になると体の変化が生まれる。
演説し、握手し、ときに絶叫するから、夜の8時になっても興奮状態が続き、このままじゃ寝れない身体になってくる。明日も早いと分かりつつ、直帰できない僕たちは選挙のときほど寄り道をする。
しかし、あの時ばかりは恨めしかった。 8年前。12日間の衆議院選挙を戦い抜き、数少ない秘書だった僕の身体もボロボロな選挙戦最終日の夜に、先輩区議がやってきて居酒屋に連行された。慰労してやろうと思ったのだろうが、そこは投票日の前日の夜だ。情勢分析に入り、言い渡された結論は残酷なものだった。 「悠くん、よくやった。でもねえ、残念ながら手塚さんは小杉さんには勝てないよ。本当に残念だ。落選したときの準備をしておくことも秘書の立派な仕事だから、明日から準備をしておくように」 と。
ほんの1時間前まで、勝利を信じ、1枚でも多くビラを配ることに心血を注いできた僕にとって「落選」の一言は、患者が「葬式」の話を聞かされるようなもので、「この人は何を言っているんだろう?」と怒りさえわいてきた。 「いや、怒るのもわかる。でもねえ、世論調査の結果がシビアなんだよ。投票日の前日に10ポイント以上離されているのはきついわ。あの小杉さん相手によくやったと思うよ。でも、勝てない。負けるわ。いやー無念」
酔えば酔うほど無神経に敗北を口にする分、余計に腹が立ったことを覚えている。
その先輩議員がまさかの勝利を確認し、 「あの時は悪かった。悪気はなかった」 と言ってきたのは嘘じゃないだろう。今はわかる。先輩の予測が決して悪気ではなく、関係者一同が思っていたことだと。
なぜなら、あれから8年が過ぎ、僕があのときの先輩区議と同じ年齢、同じ地方議員になり、経験をという厄介なものを積んだ分、経験が常識的な予測を生み、悪い体験を呼び覚ますからだ。
あの頃は若かった。数字なんて信じないと言い切れた。街の反応が世論なんだと言い切れた。
3年前の郵政選挙で、
「世論調査では東京は壊滅的です。手塚さんもバッジがつかないかもしれない」
と新聞記者に言われても、
「毎度のことよ」
と一蹴してきた。
この時ばかりは間違いだった。世調のポイント差以上の差がついて、まさかの落選を喫し、以来、世論調査を気にするクセがついてしまった。
あるテレビ局の記者は言う。
「うちの会社は投票日が近づくと、世論調査、過去の衆議院選挙の得票と直近の参院選挙の比例得票と党の支持率など10項目を入力して候補者の当選確率を出すんですよ。まあ、人間味のない話ですけどね。記者もこれが簡単だから、自分の感性より、数字を頼りにしちゃうんです」
どうやら記者も政治家も、経験を積めば積むほど、慎重さを生み、迷いが数字信仰に走らせるようだ。
しかし、世論調査をする人、見る人、頼る人、様々いるが、立ち止まって考えれば僕ら政治家は世論をつくることができる人だ。
振り回されてばかりいないで、世論をつくる努力が必要かもしれない。
数字を気にしたキャッチコピーより、世論を気にした演説より、真心の叫びこそ、世論をつくり勝利を導く。
2000年の夏、僕らが信じて疑わなかった勝利の原点を思い出そう。
想いはきっと有権者に通じるはずだ。何を言えばウケるかよりも、何を言いたいかを今一度、自問しよう。

内野席・外野席

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