衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2004年5月19日 内野席「天命かもしれない」伊藤 悠

代表就任が確実になった18日の朝、岡田克也新代表から記者団にこぼれた言葉です。喜びを表した言葉でないことは言うまでもなく、受動的で、刹那的な表現が何故ため息混じりに出たのか?一人の地方議員が本家の批判をするのは生意気にして簡単ですが、敢えて、生意気は残して民進党の展望を探りたいと思います。
民進党ドタバタ劇の末、岡田新代表誕生の背景と民進党の将来は「天命かもしれない」という、その言葉の背景にありそうです。やはり、2年前の代表選挙にさかのぼらなければなりません。
2年前の9月。鳩・菅賞味期限切れ説が流れながらも、鳩山氏・菅氏の一騎打ちの様相で民進党代表選挙が行われました。ところが、一騎打ちの様相にしたのはあくまでマスコミ報道。実態は、当選回数2回、年齢45才の野田佳彦代議士(現・国会対策委員長)の参戦で、紛れもなく三つ巴の構図になっていたのです。事実、投票結果は次の通り、鳩山、菅両候補の獲得した国会議員票がそれぞれ126票、90票に対し、野田候補が獲得した票は88票でした。非議員の公認候補者の票でも22票を獲得し、25票の鳩山、22票の菅、両候補と互角の票を獲得しました。
野田さんが鳩・菅両氏に伍する戦いを展開出来たのは、民進党のお家事情、すなわち、若手議員の台頭です。2年前当時で既に当選回数3回以下の議員が民進党所属国会議員の4分の3を占め、「いっそ、同世代から代表を」の声が形あるものになっていたのです。
さて、当時の岡田克也幹事長はといえば、3ヶ月早い2年前の6月に、代表選挙に決着を付けていました。代表選挙を前にしたこの頃、手塚代議士を含めた若手議員らは党内の世代交代を求めて
「鳩山さんや菅さんに勝てるのは岡田さんしかいません。岡田さん、決断してください」
と迫っていたのです。時期尚早と判断したのか、この時、岡田さんは代表選挙出馬を固辞。流れは、野田さん前原さんの若手分裂を誘い、結果、鳩山再選につながります。
「岡田さんが決断してくれていれば・・・」
その後、幹事長人事でつまずいた鳩山体制は3ヶ月で崩壊。菅さんを向こうに回した代表選挙に突入、改めて
「岡田さん、立候補してください」
の若手大合唱に推されて出馬した経緯があります。
結果、岡田さんの惜敗。この時、若手議員からは
「民進党では、まだ世代交代はできないのか」
という嘆きの声が。
「天命かもしれない」
固辞した代表選挙では「勝てた」と言われ、出馬した代表選挙で敗れ、菅さん辞任の後継を固辞した後の、今回の結末。「天命」それは言い得て妙かもしれません。もはや固辞できない鉢を、受け取ったこと。それだけでなく、一度求めた世代交代を過酷なこの時期に思わぬ形で受けとめたことも。
ドタバタの結末は、まるで消極的選択の結末のような報道ぶりですが、2年前、多くの若手議員が必死の形相で求めたのが世代交代です。「天命」それは世代交代という分厚い壁を超えるための苦難の門なのかもしれません。

内野席・外野席

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