衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2008年2月1日 内野席「王者の道しるべ」伊藤 悠

時折聞こえる歓声によって静寂とはいえない支度部屋でグッと握ったこぶしを見つめ、肩から湯気立つ程に気合を高める。
目を堅く閉じ、イメージする。勝利した時の立会い、張り手、差し手、踏ん張る足腰・・・。勝ったときのあの瞬間をもう一度、まぶたのスクリーンに映し出して、奥歯をかんだ。「絶対に勝ってみせる」と言葉に出さない闘志を飲み込み、「ふん」と鼻息を鳴らし、山のような白鵬が立ち上がった。
負けたくないでも、勝ちたいでもない。記者も解説者も分かっていない。これはライバル心でも敵がい心でもないのだ。
万物を支える地のように、横綱は相撲を支える心技体の化身でなければいけない。
相手を倒すことではない。打ちのめすことでもない。
己自身を打ち立てることこそ今課せられた横綱の使命なのだ。
相手への同情もいらない、侮辱もいらない。
真の横綱として己の強さを証明し、王道のありかを土俵の上に指し示すことだ。あまたの弟子を抱える相撲道の最高者として。
その日のダイエー前はいつもと様子が違っていた。 ビラを配るスタッフに、マイクを握る手塚と伊藤に変りはないが、正面に陣取るデジカメ片手の数名は、一見して買い物客でないことがわかる。手塚がマイクを持てばメモを走らせ、伊藤がマイクを持てば、周辺の買い物客に話しを聞きにいく。
記者たちは過激なコメント求め、センセーショナルな見出しを空想しながら、メモを取っている。記者は期待しているのだ。
「落下傘候補に負けるわけにはいかない」
「迎撃してみせる」
こんなコメントを。いや、もっと過激かもしれない。「岐阜の調整に東京5区をもてあそぶな」
記者達はまるでこれから始まる死闘を前に、ゴングを聞くようなワクワク感で手塚のマイクに耳を傾けたが、演説はその期待をすっかり受け流すものだった。
「今日はいつもとちょっと違い、ここ東京5区に有名な自民党のチルドレンがやってくるかもしれないとのことで、ダイエーの売り上げに全く貢献しない記者の皆さんが来ています。私は誰が来ても淡々と政策を訴えるだけです」
1時間の演説の大半はこんな調子だった。記者は寒空の中、駆けつけた分だけガッカリしたかもしれない。メディア戦略に強い蓮舫さんがいたら、リップサービスの注文が付いていたかもしれない。それでも、実に淡々と受け流したのだ。
解散する記者の背中を見送り、車に乗り込むと、1時間のダイエー前で冷え切った手をこすりながら手塚は言った。
「15年だぞ」
15年間、俺は街頭演説を続けてきた。15年前、無名の26歳が「日本新党」の旗を担いでダイエー前でマイクのスイッチを入れたときは、「なんだあいつ?」と冷ややかな視線ばかりだった。それでも続けた。「なにやってるんだ?」が「また、やってる」に変り、「いつもやっている」がいつしか、温かな「頑張れよ!」の声に変ってきた。15年だ。
俺は一体誰と闘って来たんだろうか?
相手を倒すことではなかった。打ちのめすことでもなかった。
寒かろうが暑かろうが、二日酔いだろうが、昨日決めた街頭の日程を今日やりきることで、強さを磨くというよりも弱さを克服してきた。秘書が増え、後輩議員が誕生すると、ますますサボれぬ鍛錬となり、街頭姿は彼らへの「しめし」になった。
「太一は偉い。落選してから1日も欠かさず駅頭に立ち続ける君は、必ず報われる。人は必ず見ていてくれる。俺の15年でそう確信できる」
だから、と思う。この戦いを芸能中傷合戦などという安っぽいものにしてなるものか。相手への同情もいらない。侮辱もいらない。
己の強さを打ち立てて、強さの根源を後輩達に示したいのだ。「勝ちたい」ではない「勝たなくてはいけない」闘いなのだ。

内野席・外野席

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