衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2004年1月15日 内野席「誘惑の成長痛」伊藤 悠

人の家の子供の成長のように、選挙もまた時の経つ早さを感じさせます。
今年、あの参議院選挙から6年が経過しました。当時、手塚さんは国政を目指し浪人中。私は大学3年生で、アルバイト秘書をしていた頃です。参院選を控えた今頃の時期になっても、東京選挙区では民進党の候補者が決まらない一方で、自民党は意気盛んに2人の擁立を構えていた情勢は、今では想像も出来ません。
「誰も出たがらないらしい」
仕事帰りの居酒屋で、手塚さんが党本部の裏情報を聞かせてくれたものです。と言っても、今と浪人中の当時で比べれば、ほどに「雲の上の本部」の情報量は違っていたでしょう。それでも、学生だった私にはマジシャンの仕込み稽古でも見ているような、新鮮味があったものです。
「先生は出ないんですか?」
手塚さんのことを「先生」と呼んでいた頃なんですから、やっぱり6年も前のことです。衆参の違いもわからず、国会議員の秘書になりたいという一念で、朝晩働いていた自分でしたから、こんな思慮もない質問も当時はしたのでしょう。
「そういう話もなぁ・・・」
瞬間、参議院議員会館で働く自分の姿を夢想しながら、出る可能性もあるんですか?と聞きかけたところで、
「まあ、せっかくここまで来たんだ。衆議院だからこそ総理大臣をも目指せる。話があっても、断るよ」
と、自分自身に言い聞かせるような手塚さんの横顔をはっきり見ました。
民進党苦戦の予想に反して、開けてみれば自民惨敗、実質3ヶ月程度の選挙活動だった民進党候補者が100万票を獲得する騒ぎにもなりました。
「民進党小川としお候補圧勝」のバンザイに加わった時には、買い忘れた馬券が当っていたような気分の中で、議員秘書への希望の風船が一つ割れたような気持ちにさえなりましたが、今考えれば、それは忍耐のなさでしょう。
「選挙は常に振り子の現象だ。浮かれてはいられないぞ」
自分とは対照的に、気合を入れなおしている目黒の浪人はやっぱり忍耐力に長けていました。
今年、参議院選挙を迎え、東京選挙区では自民党は1人に候補者を絞り、手塚衆議院議員は民進党東京の選挙対策委員長、すなわち責任者となって2人目の擁立を目指しています。6年前、あの頃は成長痛だったのかもしれません。

内野席・外野席

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