衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2010年11月2日 外野席「六本木夜話」蓮 孝道

 街中光陰矢の如しとはよく言ったもんで、月日の流れはいやおうもなく人を押し流してしまう。
 早いもので議員稼業もやれ改選の何のとバタつく4年目が、すぐそこまで迫ってきた。いつまでも駆け出しと思っているのは自分だけで、重ねた齢の数だけ後輩もでき、身に纏った脂肪の厚さまでとはいかないが、薄っぺらな貫禄もついてきたのかもしれない。風の便りで、手塚事務所には同じ釜の飯を食った昔なじみの名和姐さんが復帰されたというし、十ほども齢の離れた新人秘書やインターンの学生たちも増えたと聞いた。蓮の名前も昔話の1ページになったかと思うとさみしい気もする。まぁ、昔っから物事の上下と酒の飲み方にゃうるさい手塚事務所のことだから、間違いはあるまいと思うが、自分たちが押しいただく親分が、一体どれほどの器量か人物か。昔語りに語ってやるのが外野席の務め。上州は群馬県から語って聞かす浪花節。ご用と急ぎでない方は、しばしお耳を貸しておくんなさい。
 あれは今から5年前。今じゃ世田谷で事務所の看板を預かる中村コータロー区議も、フサフサとは言わないまでも、ソヨリソヨリと中分けた髪の毛を風になびかせた秘書頭。与党の金看板で泣く子は黙るが役人連中は顔を見ただけで泣き出すっていう伊藤悠都議も、当時はまだ野党都議会民進党の駆け出しだった。手塚親分は折しも多くの傑物たちが討ち死にしていったあの小泉郵政解散の劇場選挙で議席を失い、昨年まで続く長い雌伏の浪人時代だった。
 古株の先輩秘書は生き残った代議士事務所に移籍を余儀なくされ、中村区議をはじめとする残った若い秘書たちは捲土重来を合言葉に汗を流した。
 そん時のオイラは親分の街頭演説の用意とポスター貼りにと目黒と世田谷を駆けずり回る、現場仕事の秘書だった。部下といってもインターン生に毛の生えた、妙ちくりんな動きをしやがる大平順秘書ひとり。コイツはいずれ手塚事務所の一時代を支える大人物になるが、当時は2人してサンシタ秘書もいいところだった。
 ところが、そんな猫の手も借りたい事務所事情にもかかわらずオイラは、
「春が来たら事務所を巣立って、次の地方議員選挙に出させてもらいやす。しかも父ちゃん母ちゃんのいる故郷で」
とはばかりもせずに、手塚親分に了解をもらっていたわけだ。
「てめぇは、親分が目にかけていっぱしの社会人に育ててくれた恩てぇもんを、まさかアダで返すつもりじゃあるめぇの」
と酒の入った中村兄ぃに叱られたこともあったっけ。
 今じゃ嘘のような、そんな時代の如月二月の寒い夜だった。伊藤都議の車を運転し、後ろにゃ手塚親分と伊藤都議を乗っけて、何かの会合に向うため、六本木通りを溜池方面へすっ飛ばしてた。当時、運転手兼随行秘書といえば、事務所秘書の花形だった。手塚親分のそれはもちろん懐刀の中村秘書。伊藤都議のは、知恵働きはからきしダメだが、運転にかけちゃ一角の橘秘書だ。ところがどっこい、何の因果かご時勢厳しくなった駐禁取締りで揃いもそろって2人とも免許停止の罰を食らいやがった。松本剛明代議士の秘書として国会で仕えていた松田哲也の大番頭を呼び戻すわけにもいかず、まさか御法を曲げるわけにもいかず、お鉢が回ってきたのがオイラだった。
 さてその晩のこと。後ろに乗っけた親分が
「蓮。春からは石関代議士が面倒を見てくださる」
と。石関貴史代議士はオイラの地元選出代議士で、当時は郵政選挙を勝ち抜き群馬県で唯一の民進党衆議院議員だった。
「先方も経験のある地元出身の秘書は願ったりだと言ってくれている。この話受けるな?」
 オイラにとっては晴天の霹靂だった。政治関係者にとって議員が親なら秘書は子。どんな業界にしたって2人の親をもつのはあんまり行儀の良いことじゃない。ましてや親の方から新しい親分と契りを直せと言うじゃねぇか。
「ありがたいことですけど。僕は嫌です。僕は手塚よしお秘書のまんまで選挙に立ちたいんです」
 当時のオイラは本気でそう思った。それがケジメだとも思った。ところが、
「馬鹿野郎! 東京選出の俺の名前が、お前の選挙で役立つと思うか? まして浪人生だ。せっかくのご好意だありがたく受けろ!」
と叱呵された。伊藤都議も
「手塚さんが骨折ってくれたんだ。ありがたいじゃないか。お前のためを思ってくれてるんだ」
と。オイラはなんだか親分から突き放された気がしたもんだった。そんな出来事からオイラは名刺の裏に2人の親の名前が入ることになったわけだ。その夜手塚親分がホロリと
「蓮にそう慕ってもらえることは、俺も嬉しいよ」
と言ってくれたことは、今でも耳に残っている。
 さて時は経ち、群馬に帰って後のことだ。ある日オイラが石関代議士の随行運転をやっていた時だった。石関代議士からこんな言葉をかけられた。
「先日、党の会合で手塚さんに会ったよ。会うなり手塚さんが深々と腰を折って蓮をよろしく頼みますと言ってくれたぞ」
 涙が溢れた。嬉しかった。
 考えてもみない。バッヂを失ってはいるが、5つも6つも年下の1期生の後輩議員に退職したサンシタ秘書のことで丁寧な仁義を切れるなんて生半な器量じゃできねぇ。オイラはあの時のことは一生忘れねぇ。いいかい新人さん方。自分が背中に背負ってる手塚事務所の看板は、どこの政治家先生方の看板よりもあったかくって居心地良いもんだ。時には羽目も外れてとんだ失態しちまう時もある。でもな、どんな時でも「俺は、手塚事務所の秘書だ」ってぇ気概を忘れるな。それを忘れずに有権者の皆さん方にいつでも誠意をもって接しさしてもらい。大器量の親分を盛りたてれば、必ずいい仕事ができるはずだ。
 いいか、ゆめゆめぬかるんじゃねえぞ。

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