衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2006年4月15日 内野席「フレームアウト伊藤 悠

最近有名な1枚の写真。桜舞う夕暮れ時に笑顔でレンズに応える4人。
会場の主、鳩山幹事長に並んで明日の主役である菅さんと小沢さん。その間に行司役の渡部恒三さんが立っている。
試合前のボクサー同士の記者会見さながらとあって、マスコミはこの写真を大きく扱った。ところが、この写真、当然のようであって不自然に写っていない前原代表(当時)。僕はこれが気になって仕方なかった。
4年前の民進党代表選のことを改めてお話したい。この内野席で2002年代表選についてはしばしば触れる機会があるのは、実はこの2002年代表選が民進党にとっては歴史的な脱皮を遂げた時だったからだ。
それまでの民進党が旧政党でグループ化されていたのは事実だ。ところが、2002年代表選挙で大きく変ったのは旧政党に属したことのないネイティブ民進党議員が誕生していたこと。そして、彼らが目指したのは旧政党のグループから離れ、民進党独自文化を開拓しようとしたことだった。だからこそ1~3期生の多くが当時立候補した鳩山、菅、横路の各候補には関与しなかった。代わりに擁立を促されたのが野田佳彦氏と前原誠司氏だった。
実はこの瞬間、民進党は第2期の時代に入った。
つまり、出来上がっていた政治家による寄せ集めの文化から、ある種のヘレニズム(融合した新しい文化)が出来上がったのだ。
その頃、すっかり野田信者になっていた手塚さんと僕で交わした会話が忘れられない。
「何で若手は野田さんで一本化できないんでしょうかね?前原さんってそんなに魅力的な人ですか?」
「そりゃ、そうだよ。野田さんと同じように支えたいって思う若い議員が一杯いるんだから」
「枝野さんとかはリーダーにならないんですかね?」
「リーダーは、人に任すこと出来る人がいいんだよ。自分で何でもやろうという人は向かないの。西郷隆盛がいい例だよ」
なるほど若手が若手を代表に選ぶときでも、人の心理は誰でも一緒。リーダーには独裁的な人よりも「調和」のとれた人を選ぶもんだと実感した。同時に、野田さんは人に任せるが、前原さんもそうなのかと、その時思った。
誰もが言う。前原さんは若すぎた、危機管理が出来なかった、と。しかし、リーダーの条件とはなんだろうかと考えたくなる。それも、この国で成功するリーダーとはなんだろうか?半年前、前原代表を代表選挙で選出したとき、その理由を若さ、改革への期待感と見た人は多かったと思うが、その実は、改革力よりも2002年代表選挙で名前が挙がっていたというのが実態。では、なぜあの2002年代表選挙のときに前原さんの名前が挙がっていたかといえば、それは述べたように若手同士のやっかみを跳ね返すだけの志を前原さんが持っていたから。
誤解してもらいたくないのは、僕はここで、前原擁護論を叫ぶつもりはない。
ただし、言いたいのは、少なくても前原さんを選出した国会議員は、当時何をもって前原誠司と書いたのか?小泉さんのようなリーダーシップ?独裁的な政治手法?
当時を思い出せば、どうもそうではなさそうだ。
メール騒動が起きて以来、前原さんに対する厳しい批判を党内の議員から聞くことがあるが、選んだ当時の動機を忘れて、支える立場の人たちが離れてしまえば、どんなに立派な神輿も崩れてしまう。
これは小沢新体制のもとでも言えること。
民進党は何を求めて小沢さんを代表に選んだのか?その副作用が現れるときもあるだろう。しかし、自分たちで下した決断に我々は自信と責任を持たなくてはならない。
辞任を目前にした代表がフレームの外におかれたことは寂しいではないか。

内野席・外野席

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