衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2004年12月15日 内野席「運の次にあるもの」伊藤 悠

「彼はまだ若すぎるとか、区議会を2年しか経験していないとかいう批判があるかもしれませんが、私も都議になったのは26歳の時でした。年齢とか、そうしたこれまでの政治文化を壊すことで世の中を変えていこうと思っているのですから、その部分でのご批判はご遠慮ください」
毅然とした口調で年齢の批判を制したのは、都議候補の1人として名前があがっていた私本人ではなく、手塚代議士でした。
批判があったのは当然のことだろうと思います。私が区議会に当選したのは去年の4月ですから在任わずかに1年半。しばらくお会いしていなかった方には、「手塚の秘書から区議会議員になりました」
と言って区議の名刺を渡したその場で
「今度は都議会に挑戦します」
と言うのですから、批判は否応なくついてまわります。
批判はまた、目黒区に止まらず、同様に昨年4月に当選した区議からの都議転進組みに注がれ、世田谷区、葛飾区の20代候補者は同様の悩みを抱えているようです。
弱音を耳にするごとに、
「俺が都連の幹事長になった天命は、都議会の議席を倍増させることと、君ら若いやつらをどんどん挑戦させるためだ」
と、檄を飛ばし続けてきたのは他でもない手塚幹事長。
その手塚さんから、かつて都議会のことをこんな風に聞いたことがあります。
「都議会議員というのは、区議会を何期も務めた人が、そうだね若くて50代でなるとこだからね。俺とか寺ちゃん(寺山智雄元都議)が26歳で都議になるなんてことは、今までの政治の常識じゃ考えられなかったんじゃない。だけど、あの時に都議になってなかったら、国政は目指せなかったな。周りは運だ運だと言ってたけど、事実、運だよ。新党ブームで日本新党から選挙に出たんだから、誰でも出れば当選したよ」
気が抜けたように
「そんなもんですか?」
と言ったら、
「まあ、だけど当時新党ブームで都議に当選して、今も議員やっているのが何人いると思う?自民党に鞍替えした人を除けば、俺ぐらいだよ。そこは運じゃないんじゃない」
その後に続く言葉として「努力」とは言いませんでしたが、毎日の朝の街頭演説を地道に続けたのは手塚さんだけだったのでしょう。
今度は納得して
「そんなもんですか?」
と。
時代は変われど、都議会へのハードルが変わったわけではありません。新党ブームという政変の時代に比べれば、むしろ二大政党政治が定着してきた今のほうが、都議選への挑戦権を得るのが難しい時代だと言えるでしょう。そのなかで、わずか28歳でその挑戦権を得られることは、私もまた「運」以外の何者でもありません。
公認を巡る党内予備選前夜のこと。
「お前、公認取れるかもしれないけど、胡座かくなら代わりはいくらでもいるからな」
と、突き刺すその一言は、やはり手塚代議士からでした。

内野席・外野席

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