衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2014年8月3日 内野席「旗」伊藤 悠

劇的な勝利とは、多くの者が勝利は不可能に近いと予想しながら、見事な戦略と努力によって芸術的な逆転勝利を挙げて見せることである。
もし、劇的な勝利をそう定義するなら、川崎市長選挙ほど、近年稀にみる劇的な勝利はなかったはずで、大方の予想は自公民相乗りの総務省天下り官僚の圧勝であった。官僚には若さもあり、組織もあり、何より空前の自民党ブームがあったから、負ける要素を探す方が難しかったにちがいない。かたや、劇的勝利を収めた相手候補は、同じく若さはあったものの、組織も、資金も乏しく、多勢に無勢の戦いだと誰もが見ていた。勝利を収めた候補者の名前は福田紀彦氏、元神奈川県議で松沢成文前神奈川県知事の秘書でもある。
もちろん、松沢ブランドが貢献した事実は大きい。松沢地盤といわれる新百合ヶ丘では、相手候補を圧倒する強さを見せたし、県議時代の地盤でも同様の結果が見られたわけだから、彼のキャリアと松沢ブランドの勝利だったともいえる。しかし、劇的な勝利と呼ばれた選挙戦を、支援した政治家の後ろ盾だけで片付けるのは、あまりにも論薄弱である。
私にとって福田氏は同年代の地方議員として、元秘書として、マニフェスト大賞の実行委員長経験者として随分長い時間を共有してきた間柄だったので、彼の一途さと努力を人一倍見てきたつもりだ。そこで、窺い知れることがある。
劇的な勝利とは、冒頭にも触れたように、誰もが負けを予想する闘いであることから、自らの力を120%出し切り、相手の戦力を半減させなくては、奇跡とも呼ぶべき勝利を収めることはできない。そこで、彼の力の源泉は何かと考えた時に、4年前の市長選挙で負けて以来、彼は一度も再挑戦を断念しなかったということだ。何人もの支援者に「県議に戻れ」、
「国政に挑戦しろ」
と進言されたはずである。しかし、微塵も心が揺れなかったことが、他候補の出現を食い止め、一騎打ちに持ち込めたのではないかと思う。
「彼が出る!」と4年の間、揺らぐことなく、政治関係者には、この強烈なメッセージが発せられ続けた結果、非自民の候補者が福田氏以外出現することなく決戦を迎えるに至ったことは勝利を考えるうえで最も重要な要素だ。してみて思うのは、ポスターやチラシといった制作物は、有権者に対して政策を伝える重要なツールであるものの、それはほんの一つの武具でしかなく、勝利を呼び込んだもっとも大きな要素は、揺らぐことなくそびえていた一本の旗印だったかもしれない。 いくら小さな城でも、櫓の上にそびえる旗印は、決死の覚悟を周囲に知らしめ、時には威嚇し、時には牽制し、時には崇められる存在足りえる。
そう思うと、政治家は何のために、誰のために、どんな方法で、旗を立てるのか、その真価が問われている。現職中の政治家は、走る続けているマラソンランナーのようなものだから、特に考えなくてもゴールを目指して、体が動く。しかし、浪人中となると、一度、足の止まったランナーであり、リタイヤしたランナーだから、走る意義を必要以上に考えることになる。
しかし、その熟慮、熟考なる時間がない限り、一心不乱に旗を立てることはできないのかもしれない。私も熟慮、熟考を重ねる毎日だ。

内野席・外野席

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