衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2006年12月19日 内野席「都知事選の記憶」伊藤 悠

「これ以上結論を先延ばしにするのは、候補者選定の時間を失い、事態を悪化させる」
都議会民進党の幹事長はこう言い切って議員総会での了承を取り付けた。
翌日の紙面に踊った文字は「都議会民進党、都知事選に独自候補擁立を決定」
石原都知事への対立候補擁立決定の瞬間だった。
遡ること8年前。22歳の私は渋谷のハチ公前に立っていた。手塚さんも立っていた。手には「自然との共生」と書かれた政策パンフレットを持ち、ただひたすらに、来る人来る人に配り続けていた。手塚さんも配っていた。党本部の職員も配っていた。
ロータリーでは巨大な演説カーが横付けされて、菅さんが訴えていた。すべては鳩山邦夫都知事候補勝利のために。
数日後、鳩山候補が個人演説会開催のため、目黒入りすることが決まった。いわゆる「ハコモノ」だ。上目黒小学校の体育館を借り、椅子を並べ、演壇を立てる。動員は少なくても400人以上とされた。やることはまだある。鳩山候補の秘書への連絡だ。
「候補者はどの道を通って会場へいらっしゃいますか?」
この質問が大事だった。もちろん、警備上の問題でも誘導の問題でもない。車のルートが知りたかった。特に目黒区内に入ってから、小学校までのルートが。知りたがる理由も分からないまま秘書は快く教えてくれた。
翌日、大量のポスターを車に乗せた。表紙に描かれていたのは緑地に白の蝶の絵。キャッチは「自然との共生」、つまり、鳩山候補のイメージポスターの山を車に積んだ。「一斉張り出し」と行きたいところだが、後に続く秘書はいない。2台目の車もない。もちろん業者を雇う金なんかこれっぽっちもなかった。
寒空の冷たい壁に大量のポスターを貼らせる原動力は手塚さんの「頼むな」の言葉と、もうひとつ「偉くなりたい」の一心だった。
偉くなる。そうだ、あの頃は大学にも行かずにそればかり考えていた。偉くなりたい。なって何がしたいのかも考え付かないくせに、そればかり考えていた。どうしたらいいか?頭の中はシンプルだった。仕えた殿様を偉くすること。
車を停めてポスターを貼り始める。普段張らない場所を一軒一軒尋ね歩く。スタート地点は槍が先の交差点。もちろん終着地点は上目黒小学校。導線は昨日聞いた車のコース。その導線を丹念に歩く、歩く、貼らせてもらうまで歩く。
僕らには限られた人材と車しかなかった。一番使ったのは「智恵」だった。鳩山候補に見えるところに貼る。これが智恵だった。
個人演説会は成功した。動員数も、盛り上がりも申し分なかった。何より鳩山候補の演説の中で
「目黒はポスターの数が多くて感激した」
と発言があった。偽りの罪悪感をほんのちょっぴり感じながら、はるかに大きな達成感を得た。
そして、手塚さんは新人候補として誰よりも早く衆議院選挙の公認を得た。
あれから8年。景色は一変した。手塚さんはまたしても浪人の立場で都知事選挙を迎えようとしているが、あの頃とは何もかも違う。スタッフの数も車の数も。それを思うと、当時は何とも必死だった。渋谷の駅前で必死にビラを配る手塚さんの姿が懐かしい。
「いいか、俺が配れば党の職員もみんな必死で配る。案外、街宣車の上からは、誰が何やってるかよく見えるもんなんだ」
今年の秋。手塚事務所出身の松田哲也さん、中村公太朗くんが駅頭を始めた。傍らの手塚さんはおもむろにビラを取り出し、必死に配り始めた。
8年経って、景色は一変しても、変らない必死さを持ち続けることが大事なのかもしれない。

内野席・外野席

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