衆議院議員手塚よしおWEB。立憲民主党 東京都第5区(世田谷)。都議1期、衆院5期、元内閣総理大臣補佐官。現在、立憲民主党幹事長代理、東京都連幹事長など。

2008年4月4日 内野席「林中の虎や豚」松田哲也

「追われてる相手チームの方が苦しい。必ず終盤にチャンスがくる」
 春のセンバツ準決勝戦。沖縄尚学の監督は、選手たちを鼓舞し続けていた。8回裏、アルプススタンドのチアリーダーは、泣きながらポンポンを振っていた。
 選手たちは監督を信じ、どっちが負けているのか観衆も錯覚するぐらい、笑顔でプレーしていた。その時、奇跡が起こった。一気に大量4得点の大逆転勝利。
 今春も連日、球児たちは甲子園の球場に、数々の素敵な夢を残して夏へと散って行った。
 私も1年間、議員として目黒区議会の議場に、沢山の夢のカケラを残して2年目に心凍らせている。あっいや。心踊らせている。
 桜舞い散る昨年4月に初めて胸にバッジをつけて1年間。
「初心忘れず」
 本会議場でも委員会室でも喧々囂々・侃々諤々の議論を展開してきた。
平成20年3月31日。本年度を締め括る最後の本会議。その日は昼から38度5分の熱があった。しかし来年度予算の採決や、民主が動議で議員提案した暫定税率廃止意見書の審議・採決をする最終日。欠席は出来ない。
 16時を過ぎてやっと暫定税率廃止の意見書審議が始まった。議員が区側に質問し答弁を求めるのが通例だが、議員が議員から質問を受け答弁を求められるのは初めてだ。
 議場の空気は一変した。各会派の議員の怒号が、激しく飛び交う本会議場は、私にとって初めてのことだった。
「サファリパークに投げ込まれた生肉」になった心境だった。
 1日ガマンしてたら「顔の中心で菌が叫ぶ」最悪の事態になり、私の鼻はお笑いタレントの友近&ディランみたいに腫れ上がっていた。
 今、病院のベットで左腕に点滴をうち、右腕で携帯を握りながらこの内野席を書いている。合掌。
 博多の綾小路きみまろと云われている、南蔵院の林住職はこう説法した。
「施設に預けられている知的障害を持つ15才の子どもの話です。お母さんは亡くなりお父さんは長期入院。その子に500円玉から1円玉までの6種類を価値ある順に並べるよう言いました。それが出来れば社会に出ていけるから。しかし1番高価な貨幣に10円玉を選びました。何故それを選んだのか? あとで分かりました。その子の唯一の楽しみは、施設の公衆電話から、大好きなお父さんに電話をすることだったんです。毎晩10円玉を大切に握り締め、公衆電話からかけていたから」
10円玉には10円玉の価値がある。
「多様性を認め合う社会に」
「欠けた分を補い合う社会に」
「泣いた分だけ笑える社会に」
 区の政策課題は多岐に渡るが、どんなテーマでもこの視座を根底に置き「初心忘れず」2年目も胸を張ってやっていこう。夢のカケラを零した議場で。
 さて。内野席から手塚さんの選手達のプレーを見てみると…。
 人柄もいいけど豚ガラ鳥ガラ揚げ物ラブの土橋秘書など、みんな相変わらず楽しそうにやっている。冒頭の沖縄尚学の選手たちのようだ。こんなキツい浪人時代なのにもかかわらず。末恐ろしい。
 豊臣秀吉は徳川家康に自分の宝物を誇ったあとこう聞いた。
「家康公の宝物は何か」
家康はこう答えたという。
「三河武士は宝は持ちません。しかしあえて宝と言えば、私に命を預けてくれる500騎の武士たちでありましょう」
by「その時、歴史が動いた」
 手塚さんは昨年4月の統一地方選で、地元目黒・世田谷に限らずアチコチで沢山の子どもを作った。寅仁朗クンと同級生だ。
「その時、ムスコも動いた」
 我々も林中の虎。薄暗がりの中でその目を大きく見開いて、中原に解き放たれ鹿を逐う日を待っている。

内野席・外野席

内野席・外野席

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