2012年12月25日
激動の1年を振り返る年の瀬となりました。
師走の総選挙で、政権と自らの議席を失ったことばかりに思いが至りますが、そこは冷静に、特別な経験をさせて頂いた1年を振り返り、今年も年末恒例の極めて個人的な10大ニュースをしたためてみました。
この「手塚コラム」の更新が1年ぶりになった言い訳にはなりませんが、政治家として最も多忙を極めた充実した1年だったことは間違いありません。ご笑読下さい。
1.政権から陥落・落選
(野田総理が勝負に出た乾坤一擲の総選挙でしたが、民主党は壊滅的な敗北を喫しました。私自身も議席を失うことになりましたが、絶望することなく、心に火を灯して他日を期したいと思っています。)
2.野田総理を支えて
(総理補佐官として、早朝から深夜まで野田総理に仕えさせてもらいました。1冊本が書けるぐらい、数多な仕事と役割がありましたが、いつの日か、もう一度この経験を生かして、政治の表舞台で働きたいと思っています。)
3.さよなら、蓮孝道
(私の秘書出身で、群馬県みどり市議だった蓮君が、30歳の若さで天に旅立ちました。誰からも愛され、私にとっては自慢の後輩でした。世の理不尽や不条理をこれほど実感したことはありません。彼の笑顔が今も目に浮かびます。合掌。)
4.社保・税改革の成立
(野田総理が政治家としてのすべてをかけて推し進めた改革法案が成立。世論、野党、党内の軋轢など七転八倒の日々でしたが、野田総理でなければ絶対できなかった改革であり、歴史的にも改めて評価されることを確信しています。)
5.原発ゼロに向けて
(未曾有の原発事故を受け、我が国のエネルギー政策も大転換が求められました。野田総理が決断し、2030年代に脱原発社会をつくることを閣議決定できました。官邸前デモ隊の代表者との官邸での懇談も印象に残っています。)
6.メディア被害
(野田総理最側近という呼ばれ方で、メディアに連日取り上げられる日々。特に新聞の「総理周辺によると」との書き方は、何でも私の仕業と見られ、本当に迷惑でした。情報に神経を尖らせ、記者に追い掛け続けられた1年。そんな記者との付き合いの中で、かけがえのない財産もできました。)
7.離党者続出の民主党
(民主党政権とは何だったのかと思うほど、この1年は離党者があとを断ちませんでした。小沢一郎氏の影や消費税など理由はあるにせよ、本当に残念なことでした。総選挙の最大の敗因は、やはりこのバラバラ感と政権党としての自覚の欠如でしょう。)
8.民主党広報委員長に
(10月の内閣改造人事で、総理補佐官を退任し、党広報委員長に就任。補佐官職をまっとうしたい気持ちもありましたが、総理の考えられた選挙シフト。同じく国民運動委員長に就任した蓮舫さんと、党役員会の末席を初めて経験させてもらいました。)
9.海江田新代表で再起
(総選挙の敗北を受け、退任した野田代表の後任に、海江田万里氏が就任。四の五の言わず、民主党が結束して、再起を期していかなくてはなりません。)
10.愚息との会話
(多忙を極め、起きている愚息にあまり会えない1年でしたが、幼稚園の年中に進み、親子の会話が成立するようにもなりました。選挙戦の最終日には「僕も野田さんに会いたい」と駅頭にも来てくれ「野田さんもパパも頑張ってるよね」と。)