戦後65年。沖縄に悲願だった深紅の大優勝旗が渡ることになりました。沖縄代表として首里が夏の大会に出場した1958年はまだ米国の統治下。当時の食物検疫に抵触するとして甲子園の土を持ち帰れなかった悲話は今も語り継がれています。また、1990年〜91年の沖縄水産の2年連続準優勝も悲願の歴史の1頁。沖縄にとってあまりに高かった壁を、圧倒的な強さで興南が見事に乗り越え、史上6校目となる春夏連覇。試合終了後、興南のアルプス席から始まったウェーブは相手の応援団も巻き込んで甲子園を2周しました。長年の高校野球ファンにとってもたまらない感動の瞬間で、大きな拍手を送りたいと思います。夏の甲子園大会の閉会とともに秋の気配を感じつつ、永田町周辺を取り巻く、代表選に「出るか、出ないか」といったお化けの報道に気を揉みながら、私は今夕から衆院の議院運営委員会の派遣で南アフリカに旅立ちます。地球の反対側へは、バンコクで飛行機を乗り換えて、約24時間。次は、大陸最南西端の喜望峰あたりからの独り言になります。10:00